失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】



「兄貴…兄貴?聞こえる?…兄貴」

「あっあっあっあぁ…ああぁぁぁ」

泣くような喘ぐような異常な声に

僕は戦慄した

「兄貴…兄貴」

兄は身体をよじり目を見開き

自分の髪の毛を両手で掴みながら

狂ったように頭を振った

僕は兄の身体を必死で抱きしめた

抱きしめながらわかった

これは…発作だ…パニックより酷い

狂気に近い…発作



これはPTSDだ

激しいショックで生じた心的外傷の

フラッシュバック



酷い

こんなになってしまったの…?



兄は自分の胸元を両手で掻きむしり

爪から血の匂いがたちのぼった

僕は兄の手を夢中で押さえた

すると兄は自分の腕に噛みついた

僕は兄の腕から顎を引き剥がした

「ああ…ああああああ」

兄は喉から絞り出すように喘いだ




気がふれてもおかしくないほどの

ぱっくりと開いた大きな傷口

底無しのクレバスのような深い闇

長すぎた悪魔との契約




この引き裂かれた傷が癒えるまで

一体どれくらいの暗くて病んだ夜を

越えなければならないのだろうか…

兄は立ち直れるのか?

僕の脳裏に

一瞬朽ち果てた兄の姿が翻った

僕は首を振りその姿を追い出そうと

必死に兄の背中をさすり

大丈夫…大丈夫だよ…と

兄に言い続けた

まるで僕自身にそれを

言い聞かせるかのように









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