モンパルナスで一服を
ベンチから10分かけて、男は玄関前に辿り着く。

どうしてか、一吹きの風に楽しみを奪われ、いまだ火がついてない煙草を口に咥えたままだ。

男の部屋は階段を上がった隅、不気味なほどの仄暗い。

しかし、これで男は気に入っていた。

部屋は空間だらけだった。

右隅にあるベッド、そして、絵を描く際に画用紙を斜めに固定する台のイーゼルが部屋の中央にあるだけ。

空間ばかりの部屋のためか、壁に立て掛けてある数々の絵がやけに目立つ。

どれも男が描いた絵である。全体を通すと暗い絵が多い。



男は週に一度、描いた絵を以て路上で商いをする。

しかし、道行くお客からの評判も悪く、男の作品は何一つ売れていない。部屋を囲む絵がそれを物語る。

それでもこうして生計を立てられるのも、親からの仕送りがあるからだ。



男は布袋から一枚の画用紙を取りだすと、それをイーゼルの上に置いた。

黒で塗りつぶしてある画用紙の中心は、ぼんやりと白い。どうやら描きかけのようだ。

男は絵をじっと見つめる。

光もおぼろげな絵の中央。男は、まるで奥深い光の向こう側を見つめているようだった。

その目は、夕暮れの景色を見ていた先の瞳と同じ。どこか悲しげである。



細めの筆を手に取る男。

部屋に入ってまだ六度目の瞬きをすると、画用紙の中心でぼんやりと光る“がらんどう”へ筆を近づけた。

五分が経過する。しかし、なかなか筆先を画用紙に付けようとしない。

この続きに何を描くべきか、男は葛藤していた。
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