狂犬病予防業務日誌
第三章 おれは誰?
 どうもおれは今日死ぬらしい。

 車に轢かれそうになったり、庇にぶら下がっていた氷柱が落ちてきて背中を掠めたり、死神が手招きしているようだ。

 頭が痛い。

 一体おれは……犬に襲われて床に後頭部を打って……気を失っていたのは一瞬だったと思うが嫌な夢を見た。忘れよう。自暴自棄になるだけだ。

(犬はどこだ?老人もどこへ消えた?)

 頭が重い。

 余計なことは考えず、早く日誌を書いて帰ろう。老人が犬の処分依頼にきたことはおれが黙っていれば露見しない。所内は静かだし、きっと犬と老人は出て行ったに違いない。

 せめて犬を入れてきた段ボールを片付けて申請書をシュレッダーにかけて証拠隠滅しないと……お金はどうしたのだろうか?ちゃっかり持ち帰ったのか?割れた裏玄関のガラスの後始末と言い訳を考えないと……。

 いずれにしても確かめるために正面玄関へ向かわなければいけないと思った瞬間、夜のしじまを電話のベルが切り裂いた。

(まったく!)

 心の中の悪態を鎮め、正面玄関に一番近い総務課の電話を出た。

「もしもしT地域保健所です」

「そちらに犬の処分をお願いにきた人はいませんでしょうか?」
 声は中年女性。初めて聞く声のはずなのに記憶をくすぐられた。でも、その要因がなにかはわからない。電話の相手が早口で尋ねてきたせいもあってじっくり考えるゆとりがなかった。


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