山桜【短編・完結】
契り
その日。

庭の桜は暖かな陽射しに誘われるように、お昼頃から、ぽつりぽつりと薄紅色の花を開かせた。

離れの館に住む千は、ため息をつきたい気持ちでそれを眺めている。

城の外堀に植えられた桜を、景丸と眺めるのが好きだった。

『やめようよ』
という景丸の手をひいて、こっそり忍び込み、城内の桜を眺めるのが面白かった。

毎年、桜が咲くこの季節が一番の楽しみだった。

けれど、一人見上げる桜は、なんとも味気なくて、寂しさだけが広がってゆく。

そしてそれは、今夜、殿と夜を共にするのだという合図。

本来なら、満ち足りた幸せの中で、景丸の元へ嫁ぐはずの日であった。

一年前、約束したあの日。

既に側室となることは決まっていた。

初めから叶わぬ夢であった。

残される家族のことを思うと、殿の申し出を断ることなどできなかった。

お上に逆らう者は、痛い目に遭うぞ。

家族の晒し首を想像して、背筋が冷たくなるのを感じた。

その感覚は今も変わらずに、千の回りを取り囲む。

冷や汗と。

桜を見つめていた瞳から、とめどなく涙が溢れた。

…桜が咲いた…。

今宵、月夜の美しい晩に。

千と景丸は永遠の別れを誓わなければいけない。





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