短篇集
先生と別れたあと、私は教室へ戻った。むろん、勉強する気なんてすっかり失せているけれど。

三年生は今自由登校なので、ほとんどの生徒は自宅で勉強している。だから教室には、名前も知らないような同級生がぽつぽつ座っているだけで、がらんどうもいいところだ。

冷たくなった椅子に腰掛けて肘をつき、ふぅ、と息を吐いてみる。吐いたあとすこしおいて、すぅ、と息を吸う。何回かそれを意識して繰り返してみた。

――死んだんだ。

死ぬってことは、呼吸が止まるってことだ。意識がなくなるってことだ。体が朽ちていって、自分がいなくなるってことだ。

なら、デカルトのいう「考えるわれ」だって、いなくなるのだろうか。ものを考えられなるということは、とても、とても、怖いことなんじゃ、ないのだろうか。

では、命が消えゆくその瞬間、先輩はいったい何を思っただろう。

恐怖?絶望?感謝?喜び?後悔?

いや、そのすべてが入り交じる混沌とした感情に押し潰されながら逝ったのだろうか、はたまた、何も感じないまま、何もわからなくなって、逝ったのだろうか。

私の目の前には「医療系小論文テキスト」が開かれている。脳死移植の是非を述べよ、では、それを踏まえた上で、生とは死とは――。そんな小論文の課題くらい、どこかのだれかが書いた「解答例」の寄せ集めでカンタンに書ける。

でも、人の死を間近に経験するなんて、幼稚園のときに曾祖父を亡くした以来だ。死とは何かなんて、ちゃんと考えたことはなかった。

現に顔も知らない先輩の死に、こんなにも動揺して、混乱して、死の意味さえわかっていないじゃないか―――

そもそも、語り得ないものについて考えることじたい、愚かなのかもしれない。

でも、考えることもできなくなるのはおそろしい。

だから魂や霊魂を人は信じたがる。

私は死ぬとき、なにを思うのだろうか。
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