ブルーローズ ~私が死んだ理由~
25.愛情模索
 2002年 1月、自費でLモードを購入。それまで待つだけだった私が、自分から愛を求め行動に出る。
 当初、ギリギリでも自分で払うつもりだった通信費は、塾講師を解雇された事で、その支払いは全額家族に頼らざるをえなくなる。
 約1年ぶりに里奈に誘われたドライブ。当日、朝になって「仕事が入った」とドタキャンをくらい、先に受話器を取りこれを知った祖母は、私が電話を切るなり「忍は楽しみにして待っていたのに、あの子は出来もしない約束をした」と、非難した。
 私は祖母がそうやってわかったような口で友を侮辱した事が許せず、また、祖母の間違った解釈による代弁で疎遠となった人物が1人いたので、里奈とはそうなる前に「今後はメールで」と提案する事にした。
 だが、彼女の携帯は通話機能しか契約しておらず、メール機能を追加する気にならないかと、祖母の事、今回は仕方ないにしても、以前から何度も捨てられたと感じていた事を告白。
 これが逆効果だったのか、以来、彼女の携帯に電話しても24時間話し中。向こうから電話がかかってくる事は2度となかった。22才にして、私は友達と呼べる者の全てを失ったのである。

 愛されたい願望は、限界を大きく越えていた。それまで想像というごまかしで感情をうやむやにしてきた事が仇になった。私は自分で自分をコントロール出来なくなる。
 最初はただメールという流行の遊びに憧れて、出会い系サイトでも単純にメル友のみを募集していた。そこは全国市町村別の超人気サイトで、平日・昼夜問わず、投稿してすぐ次々メールが届く様は、驚きと共に快感だった。質の悪い周囲の書き込みも気にならぬ程、あの頃は“人気”という言葉に惑わされていたのだと思う。
 元々、少人数と濃い関係希望だけに多くは望まなかったし、文字だけの交流もそれはそれで楽しかった。中には返事がないからと言って、私をアドレス回収業者やネカマ呼ばわりする者もいたが、例え1日1通でも、お互い自分を偽る事なく、末長くやり取り出来る相手であればそれで良かった。
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