ブルーローズ ~私が死んだ理由~
10.復学への道
 中1の冬から始まった登校拒否も、中2の秋には終息に向けて歩み始めていた。病院や児童相談所を途中放棄した私が復学を決めたのは、親でも担任の力でもなく、ただ何となく全日制の高校に行きたいと思ったのと、朝の電車が上り下り同時刻に発車だったため、全日制なら駅で好きな人に会えるかも…と考えたのが理由だった。
 周囲は復学を喜び、これで問題は全て解決したかに見えたが、心の傷は何1つ癒えていなかった。
 中学時代は部員2名の文芸部で部長を務め、不登校中も部活だけ、日中も顧問の厚意で保健室で詩や作文を書いていた。自分1人では入りづらい保健室も、モグラ君と呼ばれる同じ不登校の男子生徒や加代と共に、2年の秋から『保健室登校』に変わる。
 クラスメイトはそんな私達を優しく迎え入れてくれたが、一部の生徒には耳元で「エスケイプ」と囁かれるなど、認識の違いも感じさせた。

 3学期になると、いよいよ高校受験に向けての再スタートが始まった。それまで部活を入れて週1・2回だったのを4回まで増やし、少しずつだが学校へ行き始めた。
 そして3月、私は交換日記の中で4月からの完全復帰を宣言する。

 「これからは学校にちゃんと行くので、日記は終わりにしましょう」

 正直、これ以上彼に話を合わせるのは真っ平御免だった。それに、学校へ行けば交換日記を続ける必要はない。
 ところがどうだろう。彼はこの半年間の日記のやり取りで、すっかり私の事を理解した気になっている。まるで、復学する気にさせたのは自分だと言いたげに、「無理かもしれないじゃないか」と日記の続行を強要してくる。
 頭の中で何かがブチ切れた。
 私は己の意思を通そうと、書いて書いて書きまくった。彼も字が乱れる程、それに対抗した。わからずやの彼に不満が一気に爆発して、「嫌いです」と本音も書いた。逆上した彼は、それまで以上に字が乱れていた。
 祖母は日記を盗み読み、やはり復学は担任のおかげだと、私に謝罪を強要する。私は嫌々、ゴゴゴ…メメメ…と丸々1ページ分の“ゴメンナサイ”を書いた。
 これにより若干不満は残るものの、日記は2学年終了と共に幕を閉じる。

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