forget-me-not







彼のいた場所には、皮肉にも“忘れられたように”忘れな草がポツン、とおいてあった。

なんでこんな季節に?そう思いながらそれを掴んだのに、涙で視界が歪んでその手から滑り落ちた。


――僕を、忘れないで。


声にならない夜くんの、そんな叫びが聴こえてきそうで。

忘れな草の由来――いつだかに聞いた物語が、頭に浮かぶ。


騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたけれど、誤って川の流れに飲まれてしまった。

ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「僕を忘れないで」という言葉を残して死んだ。

残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。

forget-me-not。それは私を忘れないでという精一杯の名称。




『…どう、して。い…つも、いつも、いきなりすぎるんだよ……』


ふるふると震える手首を抑え、忘れな草を撫でた。

薄青色の花びらが、さびしそうにこちらを見つめていた。

あぁ、私、こんなに彼が好きだったんだ、と今更ながらに実感して。

それなのにどうして、この想いは届かないのだろう。



(…ず、るいよ)



私を拒絶する。私のこの想いを拒絶する。

夜くんは逃げる。自分の感情から。それを感じることから。

それなのに、僕を忘れないで、なんて……。




『本当に、ずるいよ……』


ツー、と両目から零れ落ちた涙は、花弁の上にポトリと落ちた。

涙の粒が、薄青色に染まる。





彼はもう、ここにいない。












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