東京タワー
篠田彩実。
これが私の名前。
色々な人生を自分らしく、実らせて欲しい。
そんな願いの元、私は、奈良の山の麓のニュータウンで産まれ育った。
高度成長期を過ぎ、ニュータウンやベッドタウンやらが、急ぎ足で立ち、企業が著しく発展する中、私の父は漸く小さかったが、大阪を拠点とする大手ゼネコンの下請けの社長になった。
小さかったが、父自らの手で、建築会社を立ち上げたのだ。
新しく出来たニュータウンに、自らが設計した家を建てる事、そして、マイホームを持つ長年の父の夢が叶った。
虫の知らせとでも言うのだろうか?
そんな父と、母、姉二人の生活の中に、母の遅い妊娠の知らせが届いた。当時、40歳前後の妊娠はまれであったため、産婦人科医の判断は、母体に負担が大きいという理由で、中絶だった。母は嬉しい反面、その答えに動揺した。
母は迷った。
産むことが私の為か、否か...
そんな時、京都の母の母、私の祖母が、危篤になった。
「産んでおやり。その子は、産まれてくるべきこの世に授かったのだから、私の産まれ代わりなのだから。」

満開の桜の咲いた春、私は、この世に産まれた。桜吹雪が舞って、おめでとうといわんばかりに私をお迎えした。
2千2百グラム。当時では、3千グラム以下は未熟児とされ、私は保育器の中で、ひと月も過ごした。
当時の事など、勿論覚えてはいない。
骨と皮だけの、ギロっとした瞳、太くコシのある髪
私のあだ名はマッチ棒になった。
少食なマッチ棒も、それなりにマッチ棒らしく成長していった。
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