AKANE
そんな余裕はどこにもないが、あまりの具合の悪さに思わずディートハルトは少年王に訊ねたこともある。しかし、死人のような顔で彼はこう答えた。
「いえ。今はディアーゼに向かうことの方が大事です。ディートハルトさん、お願いです。なんとか間に合わせて下さい」
 ディートハルトは馬の足を止めることなく、ひたすらに駆け続けた。

「あれは・・・」
 朱音は呟いた。
 ディートハルトもはっとして幾筋もの煙の立ち昇る遠くの空を見つめた。もう随分ディアーゼの近くまで来ていた。潮の含んだ海風が風を切って走る二人の頬を撫で始めていた。恐らくは、あの空の下では激戦が繰り広げられていることだろう。
「いかん・・・。間に合うか・・・」
 渋面でディートハルトは馬の手綱を勢いよく打った。じっと朱音は屈強な老剣士の服にしがみ付き、じっとその下で手を握って祈った。
(どうか・・・、彼が無事でありますように・・・!)
と。

朱音は一面に壁のように張り巡らされた半透明の結界ごしに呆然と見つめた。痩せっぽっちのこの身体の、一体どこにそんな力が残っていたのかと疑いたくなる程、朱音は転げるようにディートハルトの馬の背から飛び降りると、一目散に薄い膜の前に駆けつけたのだ。
 馬は、この結界を怖がって、ある一定の距離を越えて近寄ろうとはしない。ディートハルトは仕方なく馬を置いて朱音の後を徒歩で追った。
 たった一枚の薄い結界の反対側では、多くのゴーディアの歩兵達が詰め寄り、取り囲んでいる。その少しばかり後ろで、なぜかぽっかりと何もない空間ができていて、その空間に、相対して立ち竦む、二頭の馬と二人の騎士。
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