AKANE
 あれからというもの、クロウの表情が少し明るくなり、ルイともよく言葉を交わすようにもなった。話し上手なクリストフが閉ざされかけたクロウの心を溶かしてくれたようだ。
 でも、二百年前のアースへの転生の儀式で眠らされたクロウの記憶は未だ戻らないようで、クロウはときどき妙なことを口走ることがあった。
 “わたしは朱音という名前だ”とか“元の世界に帰りたい”だとか、“家族にもう一度会えるだろうか”ということである。
 その度に、ルイは困った顔でこう言うのだった。
「いずれアカネという記憶は薄れ、思い出になる日がやって来ます。僕はその日まで、クロウ殿下のお傍にいますから」
 黒髪の主は、まだ元いた朱音という少女の記憶を、幻から解き放たれずに苦しんでいるようだった。そんなクロウの姿を痛々しく思い、ルイはただただ傍に仕えることで慰めようとしていた。



「これはこれは、はるばるサンタシの地からようこそ」
 アザエルは目深にフードを被った遣いの男と、その横に控える小柄な男に心にも無い労いの言葉を述べた。
 遣いの男は、フードを外すと済んだブラウンの瞳で碧い男の目を射た。
「お久しぶりです、アザエル閣下。セレネの森以来でしょうか?」
 張り詰めた空気に、ユリウスはフードの下から二人の様子を伺っていた。
 なるほど、書類だらけのデスクの前に腰掛けているのは、透けるような碧い髪と碧い眼をしたどこか女性的な美しさを秘めた男、魔王ルシファーの側近アザエルであった。噂に違わず氷のように冷たい表情。この男がフェルデンに瀕死の重傷を負わせた張本人だと思うと、よくもこんなに平然としていられるものだ、と卑しむ気持ちを抑えきれない。
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