AKANE
 今ここで、大声で叫びだしたかった。
『わたしはクロウなんかじゃない、ここにいるのは新崎朱音なんだよ!』
と。
 しかし、その目論見は木っ端微塵に吹き飛ばされる。
 顔を上げたフェルデンの表情が、忌み嫌うようなものでも見るかのように、明らかに朱音から視線を逸らしたのだ。
 ズキリと心臓が鷲掴みされたように痛んだ。
(フェルデンはクロウを嫌っている・・・、魔王ルシファーの血を引くこの身体を嫌っているんだ・・・)
 朱音の頬を、つうと一筋の雫が伝った。
「へ、陛下?」
 驚いたようにルイが駆け寄る。
 朱音は堪らずに椅子から立ち上がり、気が付けば、艶やかな黒い衣を翻して逃げるように大広間を飛び出していた。
「なに、陛下は喜びの余り感極まって席を立たれただけのこと」
 驚いて思わず立ち上がったサンタシの使者達に、碧髪の男はひどく落ち着いた口調で言った。こくりと頷くと、フェルデンとユリウスは一礼してその場を去った。
「フェルデン殿下、あの少年王、泣いてましたね・・・」
 ユリウスがテーブルの上に美しく盛り付けたハムを一枚フォークで刺すと、ぱくりと口へ放り込んだ。
 絶世の美貌とは聞いてはいたが、十年前に結ばれた停戦条約の際に一度だけ目にした魔王ルシファーの、人知を超えた美しさをそのまま生き移したかのような姿だった。恐らくは、幼ないながらも魔王ルシファー同様、強大な魔力を内側に秘めているのだろう。
 しかし、その黒曜石の瞳から流れた一筋の涙は、フェルデンの心を揺さぶってならなかった。
(あれは憂いの涙では・・・)
 だが、長き眠りから覚めた少年王がなぜにあんなにも悲しい目でフェルデンを見つめていたのか、考えも及ばない。
「さて、フェルデン殿下。我々はそろそろもう一つの任に取り掛かりましょうか」
 
 
 
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