坂道
ケンジは重苦しい表情の裕美の母親を、居間へと通した。



テーブルを挟んで座るその婦人を見ながら、ケンジは母親の真意を測りかねていた。


年を重ねていてもかわいらしさを残すその婦人は、その顔に反して質素な服を着ていた。


生活の苦労が、その目じりに刻まれた皴からも感じ取れる。



やがて、向かい合って座る二人に、ケンジの母親がお茶を運んできた。


そして、いそいそと湯飲み茶碗をテーブルに置くと、何も言わずに奥の間へと下がっていった。


張り詰めた裕美の母親の様子を見て、自分は席をはずしたほうが良いとケンジの母親なりに考えたようだ。



しばらく、二人の間には沈黙が流れた。



その時間にケンジが息苦しさを感じたとき、裕美の母親は静かに口を開いた。


「私は、裕美と…、そしてケンジさんに謝らねばなりません。」


そう言うと、裕美の母親は深々と頭を下げた。



「お母さん、顔を上げてください。何があったのですか。」


慌てたケンジは右手を差し出すと、そう尋ねた。



裕美の母親は何度もすいません、すいませんと頭を下げた後、ゆっくりと顔を上げた。


そして、隣に置いていた擦り切れた黒の合成皮革のハンドバックを開けると、擦り切れた一冊のノートを取り出した。



「裕美が亡くなって、部屋を掃除していたら、こんなものが出てきたんです。」


そう言うと、ゆっくりとそのノートをテーブルの上に置き、ケンジのほうに差し出した。



戸惑ったケンジが怪訝そうな表情でそのノートを開くと、その予想もしない内容に愕然とした。
< 71 / 209 >

この作品をシェア

pagetop