夏の日の終わりに
 翌朝目を覚ますと、すでに理子がベッド脇で待っていた。

「車椅子の許可が出たんだって?」

 傍らに置いてある車椅子に目を留めてそう言った。

「何だよ、昨日驚かそうと思ったのに」

 チカチカする目を手のひらでグシグシとこすりながらそう答える。

「ごめんね。注射打つとどうしても気分悪くなっちゃってさ」

「もう大丈夫なの?」

「うん、だから早くご飯食べてよ。遊びに行こ!」

「おう!」

 精進料理のようなシケた病院食をほとんど何口かで平らげると、お茶で口をゆすぐのももどかしく車椅子に乗る。

 合図をする理子を追ってそのまま部屋から飛び出した。


 廊下から走り回る姿を見て「飛ばすなあ」とは思っていたが、実際に目の当たりにすると、そのスピードは予想を遥かに上回るものだった。

 さながら病院内の暴走族──いや、ぶっ飛ばすところを見ると街道レーサーと言ったところか?

 乗り始めたばかりの僕がそんなスピードについていけるわけは無く、まっすぐ走らせるだけで精一杯だ。そんな僕を尻目に理子は右に左に歩行者を避けながら、信じられないスピードで走って行く。

 他の患者や看護師、医師や見舞い客は驚きとともに慌てて道を譲った。

「あぶないだろ、そんなに飛ばしたら」

 青息吐息で追いすがる僕をあざ笑うかのように、理子は言い放つ。

「大丈夫だって、今までそんなにぶつかってないもん!」

(そんなにってことは、ぶつかってんじゃん)


 その姿を見ながら、婦長が僕らを問題集団と言っていたことが理解出来た。整形外科病棟だって何階もある。他にも車椅子に乗ってる整形外科の患者はたくさんいるが、こんな無茶をしている患者は見かけない。


 最初はそんな暴挙に驚いていたが、やがて周囲を眺める余裕が出来てくると、新たな世界が広がった。

 売店、レストラン、理髪店、他にも色々あるようだし、外には公園もある。理子は嬉しそうに案内して廻り、僕は新しい発見に目を輝かせた。これからはこの範囲が僕の生活圏になるのだ。



 こうして新しい生活が始まった。


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