白頭山の残光
 平壌市内への潜入は明け方近くになってから河を下る、という手順に決まった。辺りに人がいない事を確認して、三人は焚き火をおこし、地面に寝転がってなんとなく話をした。
ソナがいたずらっぽく笑いながら、ソンジョンに語りかける。
「ねえ、ソンジョン。あんたカノジョとかいなかったの?あんた軍を脱走同然に抜け出して日本に来たんだから、もしいたら心残りじゃない」
「いる。いや、いた、というべきだな」
 ソンジョンは珍しくこの手の質問に率直に答えた。だがその声はどことなく沈んでいた。
「なんで過去形なの?」
「話すと長くなるが」
 美里も横からせっついた。
「いいんじゃない。まだ夜明けまで長いし、あたし興奮して眠れそうにないから」
 ソンジョンは横向きに寝そべって右腕の肘を地面につきその手に頭を乗せた格好で話を続けた。
「俺は一年前まで、あ、2011年の一年前だが。それまで元山の部隊にいた。そこで知り合った女性がいた。つまり恋人だ。だが、彼女にはあるつらい過去があった。父方の祖父がジャガイモを食べに行かされた」
「ジャガイモ?」とソナ。
「労働教化所だ。罪を犯した人間を強制労働を通じて更正させる施設の事だ。そこでは食事はジャガイモしか食べられないから、労働教化所に入れられる事を、ジャガイモを食べに行く、と言う」
 ああ、刑務所か、と美里は思った。北朝鮮ではそう呼ぶのか。ソナが美里の疑問を代弁するように訊く。
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