Liberty〜天使の微笑み【完】
「クレハは、ママに従えばいいの!!」
「っい……!」
「ほら、言うこと聞くって言いなさい! クレハは、ママの言うとおりにすればっ!?」
「…………?」
それまで繰り返し叩かれていたのが、突然、パタリと治まる。
何があったのかと思っていると。
「自分の子ども叩いて……何やってるんですか?」
低く、威圧するような声が耳入る。
でも、不思議と私は怖いと感じなくて。
ゆっくり目を開けると……そこには、母の腕を掴む、橘くんの姿があった。
「カンケイないでしょ!? 口出ししないで!!」
「関係あります!」
「はっ!? あなた、クレハの何。ワタシは母親、あなたは他人でしょ!?」
もはやヒステリックになっている母には、何を言っても聞く耳なんてなく。
腕を振り払い、今度は橘くんへと襲いかかろうとする。
その光景が、まるでスローモーションのように見えて。
止めなくちゃ、と頭に過った時。
「――やめて!!」
叫んだと同時、私の両腕は、母のおなかをガッチリと掴んでいた。
「バカ、離しなさい! こらっ、クレハ!!」
ガツン! と、本の角が頭を直撃する。痛みで腕の力が緩んだものの、離すわけにはいかないという意思が、まだ母を離さなかった。
「――何をしているんです!」
騒ぎを聞きつけた看護師さんたちが、次々と部屋へ入って来る。
それを見て、さすがにこの状況がよくないと感じたのか、母は一瞬、動きを止めた。
「すみませんが、あなたはここへは入れませんから」
部屋から出て下さいと言われると、母は再び暴れだした。
「いいかげんにして! 母親が会えないなんて……バカげてる!!」
「患者さんに迷惑です。どうか、お引取りを」
「ちょっと、ワタシは何もしてないわよ!?」
怒りに任せて暴れる母を取り押さえ、看護師さんたちは、何とか母を部屋から連れ出してくれる。徐々に小さくなる声を聞き、私はようやく、緊張が解け始めた。
いなく、なった……。
途端、体から力が抜け、ベッドから落ちる――と思ったのに、そこを橘くんが支えてくれて、床に落ちることはなかった。
「ごめん……また、痛い思いさせて」
ベッドにきちんと座らせ、橘くんはそっと、抱きしめてくれる。
そのせいか、今更のように体が震え始めて。涙が、目から溢れ出してきた。
「……もう、大丈夫だから」
ぎゅっと腕に力を込めると、片手をそっと頭へと移動させ、ゆっくりと撫でてくれて。
温かくて、全身に、橘くんの温もりを感じる。
「っ……こ、わっ、かっ」
すがるように、胸もとの服を掴む。
「ガマンしないで、思いっきり泣いていいから。――ありがとう」
やわらかい声が、耳元で囁かれ。
お礼を言われたことに疑問を感じていると、腕の力が緩められ、そっと、頬に流れる涙を拭ってくれる。
そして真っ直ぐに、やわらかな視線を橘くんは向けた。
「さっき、止めようとしてくれただろう? それが……うれしかったから」
こつんと、額だけをくっつけ言葉を発する。
間近に顔があって、少しでも動けば、唇が触れてしまいそうで。
触れちゃえば……いいのに。
そう願ってしまう自分がいることに、少し驚きだ。
でも、本当にただ思うだけで……それを口にすることも、ましてや、自分から行動を起こすことなんて、出来るはずない。
「――失礼します」
途端、それまでくっついていた私たちは、慌てて離れた。
ドキッ、ドキッと、未だに大きく脈打つ心臓がうるさく。なかなか、落ち着いてくれはしなかった。
あのまま、だったら……。
どうなっていたんだろうと思うと、一気に顔が熱くなる。
「先程は……大変、失礼しました」
深く頭を下げる先生。
今後はこんなことが起きないようにすると約束し、橘くんとは反対側に来て、叩かれた部分を診ていく。
頭の他はたいしたことないと思っていたけど、よく見れば、腕に少しかすり傷が出来ている。