フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「Stephan!(ステファン) No……differire!(違うよ)」


大きな声にドキッとした。


ばくばく、ばくばく、心臓が飛び跳ねる。


ステファンて、誰……?


寝室のドアが1センチほど開いている。


これもまた、ハルにしては珍しい事だった。


ハルは本当に用心深くて、几帳面で、ドアはきちんと閉める子なのに。


蛍光灯の明りとは明らかに違う青白い光が、ドアの隙間から一筋の線になって漏れ出している。


一体、何をしているのかしら。


この光は何の明りなのかと気になって、隙間から覗こうとした時、


「Stephan! Gretino!(お前はバカか!)」


その怒鳴り声に思わず後ずさりした。


「……mi scusi(ごめん)」


私はごくっと唾を飲んだ。


これはきっと、いけない事だ。


ハルを知りたいと思う事は、おそらくいけない事だ。


でも、頭と体は反比例する。


「Si(そうか)……Ha un momento di tempo?(時間あるか)」


気付いた時にはもう、僅かな隙間から覗き込んでいた。


「……Ci vediamo fra cinque ore(5時間後に会おう)」


携帯電話を肩と耳に挟み、床に座って、ハルはノートパソコンの画面を見つめていた。


青白い光に照らされたハルの横顔は、まるで彫刻のように整っていた。


カタカタ、カタカタ、ハルの指が高速スピードでキーボードをたたく。


凄まじい速さで。


「luogo(場所は)……hotel Royal」


ロイヤル、ホテル……?


タン、とハルがキーボードを強く弾いて、ニヤ、と口角を上げた。


不気味だった。


青白い光の中を見つめるハルの横顔とその目に身震いした。


「……numero della camera(部屋の番号は),nove,cinnque,sei(9,5,6)……ok?」


ノーヴェ、チンクエ、セーイ。


ハルが言った事はさっぱり意味が分からなかった。


それよりも何よりも、怖かった。


ノートパソコンを見つめる、その目を。


「Ciao,ci vediamo(じゃあ、また後で)」


話し終えたハルが床に携帯電話を置いて、パソコンをぱたりとたたむ。


青白い光はふっと消滅して、真っ暗になった。


私は慌ててその場を離れた。
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