みだりな逢瀬-お仕事の刹那-
本当は愛してると、名前を呼んで言いたかった。今だってその胸に縋りつきたい、けれど。
「……幸せになってくれなきゃ、困るのよ」
暗い声で紡いだ言葉より早く、私たちを乗せて静かに閉まった扉。それが揺れ動く心に、現実と正解を教えてくれた。
ずっと伝えられずにいた、“独りよがりな願い”が傍らにいる楓に聞こえたのだろう。
「朱祢、悪い」と、バツが悪そうに発する声が2人きりの空間で小さく響いた。
隣を見上げて“楓らしくないな”と笑ったはずが、波立つ視界は彼を捉えることも出来ない。
頬を止め処なく伝う涙の分だけ、早く互いの過去として流れてくれたら良いと思ってしまう。
「黙ってて、ほんとごめん。でも、気にしないで?最初から遊びだったからっ、」
馬鹿な女だと自身を嘲るつもりだった。本当はもっと上手く精算したかった。……そう思うほど、社長の顔が脳裏を過ぎる。
欺瞞に満ちた行動のすべてが辛かった訳ではない。イミテーションの関係に身を委ねつつ、自分は身代わりだと理解していたから。
知らなければきっと、私は“あかね”と呼んでくれる社長に抱かれ続けていた。
だけど、やっぱり人を傷つけきれない。何をすべきかは誰の眼にも明らかだもの。