失恋レクイエム ~この思いにさよならを~
悲しみの宿った谷津さんの細い肩の震えが止まり、彼女が口を開くまで俺は何一つ言えずにもう空になったグラスをいつまでも掴んでいた。
水滴によって手は濡れて冷たい。こんな時なのに、時森さんの歌声が頭の中でこだましていた。

「ごめんなさい。こんな話して泣いたりして。迷惑もいいところよね」

あろうことか、彼女は真っ赤に充血した目でケロッと笑った。

「…笑うか泣くか、どっちかにしてくださいよ」

いたたまれなくなる。
ただでさえどうすればいいのかわからないってのに、そんな風に笑われたらこれ以上何も言えないじゃないか。慰めの言葉さえ、口にできない。

「ただ、話したかっただけなの、なんの関係もない人に…。とんだとばっちりよね……けど、ありがとう。おかげでちょっとだけスッキリした」

と、言って谷津さんはカウンター越しにバーテンダーに万札を渡した。そしてお財布に釣をしまい、カバンの中に収める。
そして流れるような動作でスツールから降り、スタスタと歩き出す谷津さんの腕を掴んだ。

「谷津さん」

 腕を振り払うこともせずに彼女は振り向いて、完璧な笑顔を湛えた。

「今日は来てくれてありがとう」

「送ります」と言った俺に顔を横に振る。

「…独りで帰りたい気分なの…」

俺の手が腕から離れたのを確認すると彼女は背を向けて床を蹴る。
そして凛とした背中は一度も振り返ることなくエリザの重たいドアの向こうに消えてしまった。

なぜか置いてきぼりを食らった子どもみたいに、ほんの少しの空しさと悲しさ、やるせなさに俺はしばらく動けなかった。

カウンターに座ったまま、追加注文した酒をぼーっと飲む。俺の頭の中をぐるぐると回るのは、意地とプライドだけで笑った谷津さんの心。

人は…あんな状態でも笑えるものなのだろうか。

声を殺して涙して、無理やり涙を止めた後に笑えるのだろうか。

なら、どうして人はそうまでして笑うんだろう。

どうして、無理しなくちゃいけないんだろう。
どうして、泣きたい時に泣けない、笑いたい時に笑えない“恋”に恋焦がれるのだろう。

どんなに傷ついても、たとえ裏切られようとも、いくら失っても、人はそれを求めずにはいられない。


生きる事のように、息をするように人は誰かに恋をする。
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