ワイルドで行こう

18.鍵、返してくれ。


 こんなに落ち込んだ日だからこそ、静かな漁村の小さな店がいいのかも知れない。
「盆休み、どこか遠出するか。日帰りがいいよな」
「県外の島にいきたい。大橋をゼットで渡るの。フェリーにも乗りたい。それで島一周ドライブもいいわね」
「遠出をするならスカイラインがいいな。ゼットは思いっきり走れる道じゃないと重くてストレスを感じるんだ。広大な海外かサーキット向けで、日本の公道向けじゃないとも言われている」
「ええっ、そうなの」
 琴子が驚くと、英児が笑う。
「でも俺が好きで、良い車だと思っているから手放せなくて」
「あの重厚な走行を感じると、私はエキサイトしちゃうんだけど。確かにそこからぐっと直線で伸びるとどうなるか感じることができる道は少なそうね」
「あ、琴子。だんだん車にはまってきたな」
 この前と同じテーブル。今日はどこまでも青く広がる夏空と青い海を傍に、彼と微笑みあう。
 元婚約者との突然の再会。そして、思わぬ動揺。
 しかし、このお店に着いたときにはもう、いつもの彼に戻って琴子を笑わせてくれていた。そんな切り替えは流石早い……と思う。大人だから、ある程度は心と折り合いをつける術も持っているのだろう。
 でも、琴子は思う。このきっぱり迷いない一直線の男があれだけ動揺したならば、『簡単に忘れられることではない』のだと。
 それでも表面上、英児は元通りになって琴子の目の前で笑っている。
「おまたせ。ランチの、サンドセットね」
 白髪のマスターがやってきて、二人揃って頼んだサンドセットのお皿を置いてくれる。
 本日は、白身魚のフライサンドと、キャベツとにんじんのコールスロー。白いランチディッシュに盛られ、小さなココットの桃ゼリーもちょこんと乗せられていた。すべてマスター吟味の地元の食材、そしてマスターの手作り。
「ごゆっくり。食後にコーヒーをもってくるからね」
 物静かなマスターは、その微笑みだけで語りかけてくれるような白髪の男性。だけれど背が高く身体もがっしりしている。もしかして元漁師なのかと思ってしまう。でも動きもゆっくりで、優しい熊さんという感じだった。

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