ワイルドで行こう

 何事かと、英児は琴子と顔を見合わせる。暫く待っていると、マスターがキャスター付きのワゴンを押して戻ってきた。ワゴン台の上には、喫茶店とは思えないものが。
 そこには銀色のシェイカーが。他には柄がとても長いマドラス(バー・スプーン)に、ガラスの容器(ミキシンググラス)が並べられている。つまり『カクテル』を作る道具がそこにある。
「今日はどっちが運転しているのかな。やはり英児君?」
 マスターの言葉に、英児もただ頷く。
「じゃあ。琴子さんにはアルコールを飲ませてもいいね。英児君にはちゃんとノンアルコールで作るから」
 そういってマスターはナイフ片手にレモンをスライス。琴子もどうしてマスターがそんな道具を急に出してきたのかと目をしばしばはためかせ戸惑っている。
 不思議そうな二人を傍目に、マスターはとても手慣れた綺麗な仕草でリキュールをメジャーカップで計り、シェイカーに注ぐ。搾ったレモンの果汁も混ぜると、シェイカーを肩先で軽やかに降り始める。
 その手つきを見て、英児は思い切って尋ねた。
「おっさん……。もしかして、それ本職だったんじゃ」
 シェイカーを振る白髪の親父さんがふっと緩く笑った。
「この店を始めるまではね。若い時、数年だけ東京で頑張って、あとは阪神をうろうろ。最後はここ、お城山が目の前に見える一番町ホテルのラウンジでやらせてもらって早々に引退。故郷のこの漁村に戻ってこの店をつくったんだ」
 思わぬ経歴に、英児は琴子と共に驚きの顔を揃えた。

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