大海の一滴

 その病院の管理体制は徹底していました。



 監視カメラは数メートルおきに設置されていましたし、外側には有刺鉄線も引かれていました。
 警備も二十四時間体制だったのではないでしょうか? 
昼も夜も、廊下には警備員がうろうろ歩き回っていました。


 入院患者は全員個室を与えられ、表札はありません。
その代わり便宜上、各部屋には名前がありました。
 タンポポ部屋、ゾウ部屋、ヒマワリ部屋、ヒヨコ部屋。可愛いと思いますか? 幼い子供ならまだしも、患者の中には思春期を迎えた子もいます。
幼稚園のクラス分けのようなその名前を、屈辱と思う子も少なからずいました。
 一○一号室、一○二号室と番号を振ってくれた方がどんなに親切だったか。


 ……ごめんなさい。また話がそれてしまいましたね。
あの頃の事を思い出すと、少し感情的になってしまうようです。
 話を戻します。


 つまり、そこでは個人情報がひた隠しにされていたのです。

 私は某政治家の隠し子でしたが、おそらく入院している子供達の多くは、お金持ちのいわく付きだったのだと思います。

 その病院では患者の氏名を公表しないのはもちろん、外部から訪れる面会者に対しても、徹底した制限がありました。
 万が一、見舞いを装って週刊誌の記者が入り込み、あれこれ嗅ぎ回られては厄介な事になる。
 そんな心配があったのではないでしょうか。

 見舞う人も、特定の一人に限定されていました。
私の場合はもちろん母でしたが、大体どこの部屋も母親というか、女性が来ていたように思います。
 子供にとっての母親はやはり特別なものですから。

 けれど困ったことに女性は噂好きです。
女性同士が集まると内部情報は漏れやすくなる。
 そこで病院側は、余計な接触が起こらないよう面会を一日一組に限定していたのだと思います。

 面会時間は朝八時から夕方五時まで。
面会日についても病院側がローテーションを組んでいました。

 そしてその決まりは絶対でした。

 つまり私達小児患者は、一月に一日ないし二日しか見舞いに来て貰えなかったのです。





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