大海の一滴

 一哉の表情が変わる。

 茶色の瞳が麗子を見据え、内側の深い部分にある、良くない何かを呼び起こそうとする。

 一哉の瞳に呼応するように、麗子の後頭部が次第に熱を帯び始め、軽い眩暈を覚えた。



(目を逸らさなきゃ)


 身体中が警鐘を鳴らしていた。

 それなのに麗子の瞳は一哉に囚われたまま動くことが出来ない。




 やめて。




 心が叫ぶ。



「ここのバーの名前、de Menigisuは、フランス語でもイタリア語でもない。本当はdeで区切らないんだ」

「……」



「デメニギス。深海魚の名前だよ」

「深海魚?」




 やめて。

 また叫ぶ。




「そう、思い出して。頭に綺麗な清水が詰まった神秘的で不思議な魚だよ。君は、それを知っているはずだ」

 一哉の顔が遠ざかる。




 やめて。





 不意にその魚が麗子の前に姿を現す。

 見たこともない不思議な魚だ。




 頭の中が透明な液体に満ちていて驚くほど目が大きい。


 暗い海の底を流れるように泳いでいる。


 大きな目が麗子を捉え、ゆっくりゆっくり近寄ってくる。





 口を開ける。






 その中へ、吸い込まれて行く。



< 170 / 240 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop