大海の一滴
第三章 ~束の間と始まり~

REIKO


潮の香りがする。

 麗子がその事に気付いたのは、一哉と一緒に引越し業者のトラックを見送った直後だった。

もう一度、今度は大きく息を吸い込んでみる。
乾いて砂っぽいアスファルトの刺激に雑じって、それは微かだが実態を主張していた。

「気付いた?」

 首に巻いたタオルで額の汗を拭いながら、意味ありげに一哉は笑った。

濃い色合いのジーンズに厚手の白いTシャツ、滑り止めの付いた黄色い軍手をはめた一哉の背中は、汗でぐっしょり濡れている。
コスト削減のために業者の人数を一人減らし、自分が代わりに家電とダンボールを運んでいたからだ。

ニイニイゼミがいっせいに羽を震わせ鼓膜をつんざくように鳴き続ける。

確か、先週までは鳴いていなかった。

 たった一週間足らずのうちに、季節は梅雨から初夏へと変貌を遂げてしまったようだ。
 
 引越しの話が出たのもまた先週。

 あっという間に段取りを揃え、ニカッと笑って引っ越してしまう一哉は、先行き短いセミよりも慌ただしい。

 その一哉に引っ張られて、そんなに急がなくてもいいのにと思いながら、ただ流されていく自分は一体何なのだろう。

 答えの出ない問いかけに、麗子は小さく溜息を漏らした。

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