太陽と雪
聞き慣れた声音ではなかった。

いつもは、ドレミでいうとファの音程。

それより、1オクターブ低かった。

こんなに怒りを露にする彼は、初めて見た。

何が起こったかなんて、分からなかった。


気付くと、うめき声ともに男が泡を吹いて床に倒れていた。


「大丈夫でございますか?
彩お嬢様」


跪いて頭を下げるのは、誰あろう、私の執事の矢吹だった。


「彩お嬢様。
……お手を」


私の手を引いて立たせてくれた。

そのまま、彼の広い胸板に身を寄せた。

私が自然に矢吹に身体を預けるなんて。

今は、一定間隔で聞こえる矢吹の心臓の音が落ち着いた。

「怖かった……

来てくれないかと思った……」

「私も……ご到着が遅れてしまい、申し訳ございません。

お嬢さまを危険な目に遭わせた私は、執事失格でございますね」

そっと首を振る私を見た矢吹は、優しい力で私を抱き寄せてくれた。

そこに、聞き覚えのある声がした。

「姉さん、目を離したのは俺のせいでもある。
矢吹さんは俺に電話してたんだから」


「れ…麗眞……」


宝月 麗眞(ほうづき れいま)

刑事をやっている、3つ下の私の弟。


「この大学の正門をたまたま警備してたの。

それに気付いた矢吹さんが俺に連絡くれたっていうわけ。

……おかげでお手柄だよ。

矢吹さん、助かりました」

大丈夫かと、ちゃんと私の身も案じてくれるあたりは弟だ。


「大丈夫なら………良かったけど。

じゃあ、俺は署に戻るから」


「これで……安心ですね」

矢吹の声が、かなり近くで聞こえる。

恐怖心からか、無意識のうちに矢吹の胸板に身を寄せて、離さないとばかりに抱きついてしまったらしかった。


「えっと……

なんか………怖くて……

無意識に……

ぎゅって……しちゃってたみたいで」

「仕方のないことでございますよ。

むしろその感情は普通でございます。

彩お嬢様は動物病院経営者であり、鑑識医。

このような状況にはめったに出くわさないかと」


「ごめん……

でも……嬉しかった。

助けてくれて……ありがとう」

「どういたしまして。

大切な彩お嬢さまに何事もなくて、私、安心いたしました。

私を頼ってくれて、嬉しゅうございましたので、どうぞ、変にお気になさらず」


照れたように笑う矢吹。
その表情につい私の頬の筋肉も緩んだ。


「早く帰りましょ、矢吹。

今日は講義したりして体力消耗したから、いつもよりボリュームあるディナーがいいな」


「かしこまりました、彩お嬢様」


行きと同じくリムジンに乗って、帰路に着いた。


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