Alien執筆言い訳日記(ブログ的な何か)
5月9日 ジェンダーがぶっ飛んだ




 プロフにも書いている通り、バイセクです、とかトランスジェンダーです、とか、けっこう小さい時から自分の身体や認識上・心理上の性に対する違和感は付き物で、女のくせに小学校の頃からスカート履かなかったり高校は学ランで通ったり演劇部では男役しかやらなかったり、おかげで他校の女学生から山のようなバレンタインデーのチョコが来るとか良い思いもしましたが、常にある違和感というのは、求めても届かない永遠の涯のようなもので、諦めと焦躁と出来る限りの努力の中で、それは快楽と苦痛にまみれていた。

 最近、ある詩人の方と知り合い、おんなじような苦悩の共感があって、そんなことを書いた詩を読ませて頂き、そんなこんなでそのほかにもいろいろな恩寵とタイミングが咬み合って、なんと長年のジェンダー問題が吹っ飛びました。めでたいことです。

 ジェンダーとは、

・医学・心理学・性科学の分野における「性の自己意識・自己認知(性同一性)」のこと。
・社会科学の分野において、生物学的性に対する、「社会的・文化的な性のありよう」。

…などという学術用語なんですが、いわゆる私は物心ついたころから『性同一性障害者』だったわけです。同一障害があっても特に苦痛でなければ問題ないんですが、大抵いろいろ違和感やら社会生活上での軋轢なんかがけっこうキツかったりする。19歳で全宇宙・全世界・全自分の無意味を理解してしまったあとは、ジェンダー問題なんかあまりにも些細で(性別すら無意味だから)どーでも良くなっちゃったんですが、無意味感の砂漠が癒えて今のダンナと結婚した後くらいから、幸せの反面、いままでどうでもよかったその「性同一性」の問題が、なんとなく違和感再燃して来てはいた。まぁ、いつも結婚すると(何回かしてますけどねww)社会的・文化的な性の有り様ってやつが刺激してくるんですよ。で、気分で「俺」と「僕」が頻繁に出始める。苦痛とまではいかないが、なんか焦燥感に近いものが出るんですね。ドMなんでそれも良いんですが、これが死ぬまで続くのはなんか億劫だなぁ…って思う。ま、思ってたんです。

 そしたらこれがいきなり5月5日の男の子の日に解消しちゃった(笑)。またぴったりの日に解消したよね。いいオチです。

 5月5日にその方の詩を読んで、かなり似た心境をかなり正確な言葉で表現してくれてて、違和感が5割増しくらいにまで増幅した。いつもはただやり過ごすところを、今回は恩寵もあってそれを意識的に掘り下げて全感覚でその違和感内にダイビングする明晰性があった。そうしたらエネルギーの解放が起きて、女性性にまつわる一切の観念とか概念とか固定観念がぶっ飛んでた。おまけに、男性性に対する憧憬も価値観もぶっ飛んでた。

 というわけで、いま、性別に関しての興味とか観念とか感想というものが脱落した生活してます。ある意味瞑想的な感覚が生活を支配してる。あんまりエポックだったんでシェアしてみた。5月5日の男の子の日に女性の守護神弁天様にお参りに行くというねじれた行為がこの結果を導き出したのかも知れない。最近、弁天様によく助けられてる。助けられた内容がどれも凄まじい。こういうの将に「霊験あらたか」っていうんだろうな。私のようななんちゃって女性もおこぼれにあずかれたと思われる。ありがたい。そういえば『失われた物語』の中にも、私の創作で斎田弁天という神様書いたっけ。モデルは一応あるんですが、まあ言わなくてもわかるでしょうな。 和名では市寸島比売命(いちきしまひめ)様です。インドのサラスヴァティ神が仏教で弁天になり、 市寸島比売命と習合したのは有名な話。













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