さみしいのほし
さみしいのほし


 どんなに好きなものがあっても、どんなに大切なものがあっても、どんなに必要なものがあっても、私の心のどこかはいつも欠けていたり開いていたりと、やけに風通しがいい。

 大好きな音楽を聴いていても、友達と遊びに出掛けていても、ずっと前から欲しかった自分のパソコンを買ってもらっても、欠けているところが月のように満ちたり、開いた穴が埋まったりはしない。とびきり憂鬱で悲しくて今すぐ誰かに優しく抱きしめてほしいわけではないけれど、欠けている分と開いている分だけ空しい。私は心のそんな欠陥の直しかたを知らない。知ろうとしない。お父さんがお母さんをおいてさっさと天国なんてところに逝ってしまったせいだ。だから直しかたの前に、直してもまた欠けることを先に知ってしまって直すことを諦めてしまった。どんなに好きでもどんなに大切でもどんなに必要でも、いつかは全部私の傍から離れていって、最後に残るのは直しようのない、穴だらけの心だけなら、最初から好きなものも、大切なものも、必要なものも持たないほうがましだ。そうすれば離れていくことも、消えてしまうことも、無くなることも、ない。
私は、すべての欲望を無くしてしまった。


さみしいのほし
Act.01 さみしいのほし


 お父さんのお葬式は、私が中学1年生のときだった。身内だけの細々とした小さなものだった。自宅のリビングで北枕にして眠るお父さんは、私の母方のお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに「まだ若いのにねえ、可哀相に」としょっちゅう呟かれるほどに若かった。そりゃあそうだ。お父さんが高校を卒業してすぐに、私を身ごもったお母さんと結婚したんだから。

 2人とも若い時からずっと私を育てることに頑張らなきゃいけなかった。お母さんは遊ぶどころか自分のために出歩くことも滅多になくて、お父さんは平日であろうが休日であろうが馬車馬のように働き詰めだった。私が中学生になって、2人ともやっと旅行や外泊ができるようになったのに。私がいなければ、お父さんとお母さんは働き詰めになることもなく、友達と遊んだり、大学で勉強したり、今よりもっと幸せな未来があったのかもしれない。お父さんは死ななくて、お母さんは年の割に老けこんだ顔をして働かなくていいような、未来が。



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