愛・地獄変 [父娘の哀情物語り]
 笑い声が収まると同時に、座がざわつき始めました。
それはそうです、坂田家の七回忌法要で集まった親戚一同でございますから。
このご老人、誰一人として存知おりませんのでございますから。
しかしご老人はまるで意に介されずに、ひと通り見渡されます。
そしてその後、かっと目を見開かれて、怒鳴るようにおっしゃるのです。
「本日は、わたくしめの愛娘、小夜子の法事でございます。」
キョロキョロと辺りを見回し、坂田松太郎七回忌法要の文字を見つけられると、満足そうに頷かれるのです。
「七回忌、七回忌ですぞ。
斯くも賑々しくお集まりいただいて、わたくし感極まる思いでございます。」とそこまでおっしゃられると、目頭をおさえられ声をひそめられました。

「ご老人!梅村さんとか、言われましたか?
ここは、坂田松太郎の法要の場ですが。
何か思い違いをなされているのではありませんかな?」
 大叔父の善三さんが、声を上げられました。
皆一斉に、善三さんに視線を注ぎます。
そして、うんうんと頷きます。
これでご老人が勘違いに気付かれることだろうと、前を向きます。
ところが
「だまらっしゃい!」と、一喝でございます。
「わしの話を聞けぬと言う不埒な輩は、即刻この場を立ち去りませい!
わしと妙子とのそれは哀しい哀しい話を聞けぬと言うならば、出て行け!
この罰当たりめが。」
 一旦口を閉じられて、じろりと一同を見回します。
眼光鋭く、睨み据えられます。
さすがの善三さんも、その迫力に黙られてしまいました。
それにしても勘違いの多いご老人です。
初めに、小夜子さんとおっしゃられたのに、今は妙子さんだとか。
ま、興奮されているのだろうと、軽く考えはしたのですが。

「ほれ、注いでくれ。
まったく、気が利かぬ男じゃの。」と、やおら膳の上から杯を手にされまして、松夫さんに向かって差し出します。
戸惑われつつも、何かあってはと思われたのでしょう、松夫さんが酒を注がれました。
「うん。これは良い酒ですな。
結構、結構。
酒は、惜しんではいけません。
酒は、口を滑らかにしますでな。
実はですな、わたくしですな。
眠れんのですよ、いや眠りたくないのです。
どうしてか?そう、それが大問題ですじゃ。」
 勿体ぶった話しぶりで、中々に本題に入られません。
皆、苛立ってまいりました。
話があるならばその話を早く済ませて出て行ってくれと、そう考えているのです。
しかしそれを口にすることはありません。
とに角、ご老人が早く話し始めるのをひたすらに待っているのでございます。
そして、三杯目の杯を空にされたところで、ようやく口を開かれたのです。
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