悲恋エタニティ
運良く濡れずに済んだ上、雨も危惧するほど長くは続かない様子だ。

幸いとするべきか、まだ寒いので短時間で痛むような食材もない。

良い具合に満足する反面、黙って俺の言う通りに座っている姫の表情が暗いことが不満だった。


―――なぜ、そんな顔をする。


胸の奥が、小さく焦げるような感じがする。


――そんなに早く屋敷に帰りたいのか。

俺とあなたを『姫』と『忍』に戻すあそこに。

ただの『霧夜』と『朧』でいられなくなる

あそこに。


俺の勝手な愉悦と正反対の表情を見せる女に、苛立つ。


みっともない感情をもてあましていると、姫が外を眺めて少し微笑んだのに気付いた。

つられるように外を見ると、蕾を持った桜が雨の中霞んで見える。

桜の花を思って微笑んだのだと察した。


「もう少しかかりますね」


俺のその言葉に姫がこちらを向く。


「桜でしょう。蕾は固いようです。開くにはまだ時間がかかりますね」


姫が少し驚いたように再び外に視線を戻したことに疑問を持った。


……なんだ?

俺は何かおかしなことを言っただろうか。

自分の言葉を脳裏で何度も反芻してみるが、原因らしきものはつかめない。

小さく感嘆の息を吐く姫を探るように凝視すると、


「綺麗なのでしょうね」


ぽつり、と、そう、鈴の音のような声がこぼした。


「とても…綺麗なのでしょうね」


その言葉に息が止まる。


『綺麗なのでしょうね』。

『とても…綺麗なのでしょうね』。


…これは、『桜』を一度として見たことのない人間の言う言葉だ。

そして、見ることを望めなかった者の言う言葉だ。

願ってはいけないと思っている女の言葉だ。

またもや皆間見えた姫の孤独に心臓が痛み、それを同情と勘違いされるのを恐れて俺は桜に目を戻した。

まだ咲く気配のない、それに。

俺達はふたり、黙って雨の中に佇む桜の木を眺めた。


………幽閉されていた場所には、何があったのだろう。


裸木を眺めながら、俺はそんな事を考えた。

春には花が見えたのだろうか。

夏には蝉を聞いたのだろうか。

秋には紅葉が見えたのだろうか。

冬には雪が聞こえたのだろうか。

すべての存在を知りながらすべての存在を『知らない』姫は、まるでそれが自分の人生にふさわしいとでもいうような淋しい微笑みをたたえていた。


見たかったに違いない。

国の心であるその花の姿を。


なのに姫は、この女は、どこかで、自分にそれを見る価値がないと納得している。

豪華な極楽浄土の雲のような、艶やかな春の姿は『下賤』な自分に似あわない、と。

だからこそその姿を見ることはかなわない、と。

僻みも妬みもなく、心からそう思っている。

それは、潔さを通りこして限界に近く空虚だった。
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