食の安心安全の水面下
本物のとんこつスープとは、本物の自然食材、豚骨で作るもの!
現状においてもこうあるべきだ!
「東京では。。支那そば。。なるものが流行しているらしい」―――そんな噂が福岡県
久留米あたりにながれてきたのは、昭和10〔1935〕年頃のことだった。
当時うどんの屋台「たぬき」を営んでいた宮本時男氏《故人》はこの話に大いに興味を
もち、上京して店を数件回り、実際に食べてみた。これは旨い。久留米に戻った宮本氏は
研究を重ねる。東京風のアッサリしたスープはあわないかもしれないと、試行錯誤の末
たどり着いたのが、豚の骨でスープを取る、という方法だった。昭和12〔1937〕年
宮本氏は屋号を「南京千両」と改め、支那そば専門店として再出発する。「とんこつらーめ
ん」はここに誕生した。だが、当時は今のような白濁すーぷではなかったーーー。
「子供の頃。。南千両。。。のラーメンは何度か食べた。旨かった」と語る
四ケ所{しかじよ}日出光さん、79歳 現在は佐賀市で「三九ラーメン」を自営している
が、この店の前身はとんこつラーメンを供する店として戦後に開店した久留米の屋台だった。ある日、「三九」の創業者はスープを仕込んで火にかけ、仕入れに出かけた。ところが
火加減を調整しなかったため、似過ぎたスープは真っ白に。これでは商売にならないと
思いつつ、試しに一杯作ってみたら、うまい。「三九」はこの日から、白濁スープのラーメンをだすようになったのだった。四ケ所さんは、その創業者から昭和25〔1950〕年
に屋台を譲り受けた。若いだけに一生懸命商売に励み、昭和27年には熊本県玉名の駅前に支店の屋台を出すまでになった。昭和28年のこと。「三九」の噂を聞きつけた熊本の
3人の若者が玉名を訪れラーメンを食べた。うまい!三人はすぐさま四ケ所さんに教えを
請い、地元に戻って次々と店を出した。「こむらさき」「味千」・・・・・熊本のラーメンの
原点は、四ケ所さんの「三九」にあるのだ。同じ頃福岡市では、市場で働く人々のための
ラーメン屋台が立ち並ぶようになった。「替え玉」という新しいシステムもここで生まれ、
。長浜ラーメン。 。博多ラーメン。と呼ばれるようになった。しかし元をたどればやはり、久留米に行き着く。久留米こそがとんこつラーメンの発祥の地、なのである
  KK 新潮社 福岡とんこつラーメン  2007年 11月8日号 引用
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