リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】

3.始まるために越えるもの

「牧野さんと、お付き合いされているって、本当ですか?」

にこやかな「おはようございます」の挨拶に続けて「ちょっと、いいですか」と、明子を呼び止めたのは受付を任されている女性社員で、小声ながらも力のこもった明瞭な声でそう尋ねられた明子の顔は、小さくピクリピクリと引き攣りまくった。


(ま、牧野メッ)
(この美人さんを、蹴散らせと?)
(できるかっ バカっ)


受付カウンターの向こうにいるのは、我が社の美人社員ナンバー1の誉れも高い北原亜矢子(きたはら あやこ)だった。
非の打ち所がない、まさに完璧な美しさの見本と言っても過言ではないその美貌を眺めながら、明子はその胸中で牧野に対してバカを連呼するしかなかった。

そんな明子をよそに、亜矢子はやや首を傾げながら、明子からの答えを待っていた。
その様子に、頭を抱えて呻きたくなりそうな気分を飲み込んで「まあ……、そんな展開になりまして」と、明子はエヘヘと照れ隠しのように笑いを浮かべて彼女と向き合った。

島野からの忠告を素直に聞き入れて、一応、牧野との関係を尋ねてきた者たちには誤魔化すようなことはせず、肯定の言葉を伝えたが、本当にこの対応で正解なのだろうかと、明子はいまさらながらに不安になってきた。
そんな不安に覚えてしまうくらい、明子の想像していた以上に、その噂は車内に広まっていた。

けっきょく、牧野の車に乗って出社することになった今朝は、いつもより一〇分ほど遅い出勤となり、結果、その様子を何人もの社員に目撃されることとなった。
そんなことには関心ないというように、気にもかけずにいてくれる社員も多かったが、その光景に目の色を変える社員も確実にいて、いろいろと煩わしい思いを朝からしていた。

昨日までは『どうやら…』という推測交じりだった話しが『間違いなく』という確信を得た話しになって、ある特定区域に一気に広がったらしい。
それは、本当に、あるていどの覚悟をしていた明子ですら驚くほどのスピードで、広まっていった。

島野に頼まれた代替機の手配をしようと回った関連部署の先々で、すでに出社していた数名の女性社員たちから「本当なの?!」と詰め寄られて「本当ですよ、えへへ」と笑いながら、容赦のない質問攻めをかわしてきた。
< 1,028 / 1,120 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop