リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
牧野には会わないまま、明子は会社を出た。
歩きながら、君島に叩かれた手を見た。


-試しているんだ。
-覚悟を見たがっているんだ。


その言葉が耳から離れない。

木村も。
紀子も。
覚悟を決めたと、そう笑って言った。
あの笑顔の潔さが、明子にはまぶしかった。
かつて、結婚を決めたとき。
私にそんな覚悟があっただろうかと、明子は考えた。
甘えられると。
寄りかかれると。
一人ではなくなると。
そんなことばかりで、心がいっぱいだったような気がする。
逃げない覚悟なんて。
傷つくことを恐れない覚悟なんて。
そんなものは、欠片もなかったかもしれない。
そんなことを考えた。

だから。
終わったのかもしれない。
そんなことを、明子は考えた。


考えて。
けれど、と思った。


そんな覚悟が必要な関係は、怖い。
痛みを知っているから。
失う怖さを知っているから。
その痛みは。
その怖さは。
明子にバリケードを作らせた。
人に関わらないための。
人に関わらせないための。
鉄の要塞を作らせた。
踏み込んでいくことが。
踏み込ませることが。
明子には怖かった。
弱さを。
ずるさを。
汚さを。
見るのは怖い。
見せるのは怖い。
牧野に覚悟を見せる。
踏み込んでいくための。
踏み込ませるための。
覚悟を見せる。
牧野を安心させるために。
側にいると。
離れないと。
そう安心したくて。
牧野はそれを欲しがっているのだと、君島は言った。


いったい、子どものときになにがあったのだろうと、明子は考えた。
花屋だという実家の話をした牧野からは、陰のようなものは感じられなかった。

そのことを考えて、


止めた。


踏み込むのは、やっぱり怖い。
そう思った。

ため息が出た。
臆病になってしまった自分に、覚悟を決めて、牧野にそれを見せてあげるなど、そんなことができるだろうか。
明子はバス停へと向かい道すがら、そんなことを延々と考えていた。
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