高天原異聞 ~女神の言伝~

 図書館に着くと、すでに建速は職員用の玄関にいた。

「来たな」

 美咲は習慣でセキュリティを解こうとして、カードボックスに手を伸ばした。
 だが、建速がそれを止める。

「必要ない。入るぞ」

 そのまま、扉を開ける。
 鍵など最初からかかっていなかったかのように、扉は滑らかに開いた。
 警報も鳴らない。
 美咲は玄関内のチェックボックスを見るが、異状のないことを示す緑のランプが綺麗に並んでついているだけだ。

「――」

 美咲は恐る恐る玄関に入るが、何の音もせず、ひっそりと静まりかえっている。
 内履きに履き替えると、美咲は慎也とともに建速の後について館内へと入り、中央の柱の前まで来た。
 暗闇の中でも淡く光る柱は、それだけで神々しい。

「柱に、触れればいいの?」

「ああ。八尋殿に通じている。そこは、伊邪那岐と伊邪那美しか入れない。二神だけの神域だ」

 美咲は、慎也を見上げる。
 優しく微笑んで、慎也は美咲の手を握った。
 指を絡めて、離れないようにとしっかりと。
 それだけで、残っていた躊躇いが消える。
 慎也と一緒なら、きっと大丈夫。
 美咲と慎也は柱の前に立ち、繋いでいない方の手で、柱に触れた。



 触れた瞬間、自分達の身体も淡い光に包まれ、視界が淡く滲んだ。
 滑らかな木肌の感触が一瞬消えた。

「――」

 目を閉じていないのに、何も見えない。
 繋いだ手の温かさだけが、辛うじて現実だった。
 淡かった視界が、一瞬だけ強い光を放つ。
 眩しさに、美咲は目を閉じた。
 閉じた目蓋が光を感じ、それから、不意に消えた。


 そこは不思議な空間だった。
 図書館と同じ、中央に太い柱が聳え、自分達は柱を背にしている。
 床は一面板張りだ。
 四隅の柱を囲んでいるのは漆喰なのか、白い壁だ。
 柱の近くには褥が設えてある。
 空気が澄み渡り、静謐だけがそこにある。
 ここが、神の住まう場所だったのだ。
 懐かしいような、それとも見知らぬような、相反する感情がわき起こる。
 思わず一歩踏み出したとき、澄んだ空気が、さらに澄み渡り、大気を震わせた。
 耳鳴りがする。

「――」

 激しい耳鳴りに、美咲は繋いでいた手を放し、強く耳を押さえた。
 だが、音は鳴りやまず、目眩とともに、美咲はその場に倒れ込む。

 身体に力が入らない。

 金属を打ち鳴らすような甲高い音は、痛みはなくとも未だに鳴り響いている。

 この音は一体――

 やがて音はもっと優しく、大気を震わせるように緩やかになる。
 まるで、弔いの鐘のように。
 振り子のように、波打つ音。
 同じように美咲の身体を優しく震わせる。
 意識を失うことも出来ず、美咲は目を閉じたままその音を聞いていた。
 慎也も倒れているのか、動く気配がしない。
 目を開けたくてもできなかった。
 声を出そうにも、唇も動かない。
 不意に、自分の傍らに、かがみ込む気配。
 慎也は倒れていなかったのか。
 この音は、自分にだけ聞こえているのかと、美咲は思った。
 だが、傍らにある気配はしばし動かない。
 美咲は不思議に思った。
 いつもの慎也なら、すぐに声をかけるはずだ。
 なぜ黙っているのだろう。
 温かな手が、美咲の肩に触れた。
 カーディガンが脱がされる。
 そのまま抱き上げられ、運ばれる。
 むき出しの肩に柔らかく触れた感触で、自分が褥に横たえられたことがわかった。
 肩紐が下げられ、胸元のギャザー入りの布地がするりと引き下ろされると、美咲はすでにショーツだけだ。
 それさえも引き下ろされ、あっという間に裸にされた。
 不可思議な音の響きを聞きながら、美咲はされるがままだったが、不思議と恐怖や嫌悪を感じなかった。
 衣擦れの音がして、それから、自分の上に影ができた。
 唇が塞がれ、僅かに開いていたそこに舌が入り込んでくる。
 舌が絡み合い、強く吸われ、それだけで息が上がった。
 唇が離れると、美咲の頭は自然と傾いだ。
 気にした風もなく、今度は耳朶を舐め上げられ、身体がびくびく震えた。
 首筋を這う舌の感触に吐息が乱れる。
 舌がさらに下りて、胸の先端を押しつぶすように舐められると、甘い痺れに身体の奥がもどかしく締まる。
 交互に舌で愛撫され、胸の先端がずきずきと疼いた。
 同時に、脚の付け根の奥も疼いて濡れていく。
 膝裏を掴まれ、両脚が大きく開かれても、美咲はされるがままだった。
 投げ出された腕は全く動かない。
 秘めやかな場所に熱い舌の感触――吐息はいっそう乱れた。
 淫らな水音と乱れる呼吸音が、耳鳴りとともに美咲の鼓膜を犯していく。
 耳を塞ぎたい。
 なのにできない。
 あまりの快さに、涙が零れる。
 一番敏感な部分を強く吸われ、しゃくりあげるように呼吸が乱れ、身体が何度も震える。
 それに気づいたのか、舌が離れる。
 代わりに、待ち望んでいた熱い熱が奥まで入り込んでくる。

 慎也ではない――そう感じた。

 もう何度も慎也と身体を重ねてきたのだ。
 触れる手も、肌も、慎也のものでも気配が違った。
 神気を――神の気配を感じる。

 もしや、これが伊邪那岐――?

 夢の中で、いつも自分を愛する、自分が愛する、唯一の。

 記憶がないのに、嬉しかった。
 初めて慎也と結ばれた後に見た夢の中のように、熱く激しく自分を求めてくれる。
 この特別な場所で、あの時のように身体の自由はきかなくても、今度は意識がはっきりとしていた。
 慎也を想う気持ちとは別の愛しさが沸き上がる。
 それとも、この気持ちが、これが、記憶なのだろうか。
 確かめたいのに、身体は動かない。
 施される愛撫に喘ぐだけだ。
 動かぬ身体を好き勝手にされている。
 それなのに、嬉しい。
 身体が、自分ではない別の何かが、喜んでいる。

 ああ、この人に、再びこうして抱かれたかったのだと。

 抱きしめたかった。
 もう二度と、離れていかないように。
 それは、正直な気持ちだった。
 重く動かぬ腕を、必死で持ち上げる。
 そして、ようやくその背中へ腕を回せたとき、言いようのない幸福感に、心を震わせた。

 もう二度と放さないで。

 囁くように、唇を動かす。

 放さない。もう二度と。

 囁きが、返ったように感じた。
 同時に登りつめる。
 呼応するように、一際響いて、耳鳴りが止んだ。
 何かが壊れたような感覚。

 それは、隔てられていた現世と神代の境界だったのかもしれない――





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