高天原異聞 ~女神の言伝~

8 出発



「その服は却下だ」

 キッチンの明かりに照らされたまま。
 開口一番にそう告げられて、美咲は思わず自分の着ている服を見直した。
 動きやすい様にと選んだジャージ素材のデニムとTシャツに七分丈の麻のジャケットの何が悪いのか。

「何が駄目なの?」

 問われて建速はもう一度上から下まで美咲を眺め、首を横に振った。

「美咲らしくない。いつもの服装でいい」

「いつものって、スカートよ。何かあったとき困るんじゃ」

「何かあっても、俺が護る。美咲はいつも通りの女らしい格好をしていろ。髪もだ」

 そう言うと、建速は美咲が敢えて後ろで一括りに纏めたシュシュもとってしまった。
 肩に触れるくせのない髪がさらりと音を立てた。

「――あの、今から根の堅州国へ行くのよね?」

「そうだ」

「そこは、おしゃれして行く必要があるところなの?」

「ないが、俺が気に入らん。美咲はいつものように女らしい格好でいるところが似合うし、見たい」

「――」

 どんなセクハラだと、美咲は呆れてしまう。
 これから行くところへの緊張感が萎えていくのを否めない。

「ああ、ミニスカートはよせ。膝が隠れる丈がいい。今時の人間の女は恥じらいがない。誰の目にも裸に近い身体をを晒すのは感心しない。ああいう姿は惚れた男にだけ見せればいい」

「ずいぶん古めかしいのね……」

 言ってから、美咲はその通りなのだと悟った。
 見かけだけは青年に見える建速も笑う。

「当たり前だ。いつから生きていると思っている」

 いつからなのだと聞いてみたい気もしたが、理解を超えた年数を真面目に言われても困るのでやめておく。

「――わかった。着替えるわ」

「ああ」

 諦めて息をつくと、美咲は部屋へ戻りクローゼットを開ける。
 いつも着ているスカートの中から膝丈のものを探す。
 そうなるとトップスも替えねばならない。
 なぜ、こんな服選びをしているのかわからぬまま、美咲は軽く苛立つ。
 いっそ結婚式用のフォーマルドレスでも着てやろうかと思ったが、否定されなかったときが怖いのでやめておいた。
 結局、建速の望み通りに膝丈まであるワンピースにサマーニットのボレロを合わせ、髪もいつものように全て下ろさずサイドを後ろに持っていきバレッタで止める。
 鏡に映し出された姿は、今からショッピングかデートへでも行くような軽い装いだ。
 玄関で待っている建速の元へ向かうと、美咲を眺める建速は満足そうだ。

「これでいい?」

「上出来だ」

 靴を履こうという段階ではっとする。

「スニーカーは、勿論駄目なのよね……」

「その服には似合わんだろう」

「……」

 機能性はどうでもいいのか。
 言い返す言葉を探せずに、美咲はせめてもと思い、ヒールのそんなに高すぎず、足首にストラップのついたサンダルを選んだ。
 これならある程度走れる。
 そういう危機的状況があればの話だが。
 いや、あるのではないのか――?
 そんな美咲の思いを全く気にしていない風に――実際気にしていないのだろう、建速はエスコートでもするかのように恭しく美咲を車の後部座席へと導いた。
 いつも運転役を務める男と、助手席にはコートのフードを被った女が乗っていた。
 車は緩やかにスタートし、すでに深夜を越えてまばらな街灯以外の明かりは少ない。
 夜にあまりで歩るくのを好まない美咲には、馴染みのない景色だった。

「ねえ、建速?」

「何だ」

「どうやって根の堅州国へいくの?」

 問う声音には不安が滲んでいたのだろうか、建速は優しく笑った。

「慎也が連れ去られた場所には、まだ、紋様の名残が残っている。そこから追う。禍つ霊を追えば、慎也が連れ去られた場所へ直に行ける」

「ホントに、慎也くんに無事に逢える?」

「逢える。俺の守護がかかっているから、根の堅州国の誰も、慎也を傷つける事はできない。慎也の場所も、根の堅州国に入ればすぐわかる」

「――」

 建速には不可能など無いかのように自信たっぷりだ。
 なのに、なぜこんなに不安なのだろう。
 黄泉国に近いからか。
 限りなく死に近い国。
 生と死の狭間の国。
 かつて通り過ぎたというのに、記憶は全くない。
 ただ、不安と恐怖だけが沸き上がる。
 それでも。
 心のどこかが往かねばならないと叫んでいる。

――往って、終わりにしなければ……

 自分ではない誰かの声がしたような気がした。
 これは――伊邪那美なのか。
 一体何を終わらせるというのか。
 わからないことだらけなのに、目の前の荒ぶる神は何にも動じない。
 自分に記憶さえあったら――そう思わずにはいられない。
 建速は八尋殿で交合えば記憶は戻ると言っていたのに、結局は思い出せないままだ。
 伊邪那美は自分の意志で記憶を封じているのか。
 それとも、建速の言う通り、まだその時期ではないのか。
 もしかしたら、黄泉国に行けば、記憶は戻るのか。
 仮定ばかりが頭を巡る。



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