高天原異聞 ~女神の言伝~

 光の柱に包まれた己貴と須勢理比売。
 それを、不意に暗闇が呑み込む。

「!!」

「建速様、闇の気配が!!」

 咄嗟に建速が美咲を引き寄せ、護るように抱きしめる。
 光の柱は闇に呑み込まれ、その姿を消していく。
 すぐ近くで、美しい声が響いた。

「大己貴はすでに黄泉神となった。封じられるべき処は黄泉国なり」

 美咲は、その声音にぞくりと総毛立った。
 この声を、どこかで聞いたような気がした。

「荒ぶる神よ。礼を言う。黄泉国に新たな神が増えた。須勢理比売は丁重にもてなす故、案ずるな」

「須勢理も己貴も、そなたの手駒にはならんぞ」

「待てばよい。封じられた神々はいずれ目覚める。我は待てる。そなたが待つよりももっと永くな」

 光の柱は闇に呑まれたまま、姿を消した。
 同時に、神鳴りが響いた。
 大気が震え、大地が揺れる。
 根の堅州国の女王が消えたことで、理が悲鳴を上げる。

 世界が滅びる――

「建速、慎也くんは――!?」

「須勢理の館だ。往くぞ、美咲!!」

 建速が美咲を抱きしめると同時に、神威を使った。
 瞬き一つの間で、美咲は館の中にいた。
 目の前には、横たわる慎也がいる。

「美咲。急いで慎也を起こせ。すぐに出るぞ」

「慎也くん!!」

 大地が揺れる中、駆け寄って膝をつくと、慎也の頬に触れ、温かさを確かめる。
 胸が規則正しく上下している。
 眠る慎也に、美咲はそっとくちづけた。
 すると、慎也の身体がぴくりと震え、目蓋を開ける。
 美咲に焦点が合うと、慎也はいつものように嬉しそうに微笑った。

「美咲さん、これは、夢じゃないよね」

「夢じゃないわ。これが現実よ」

 実際に離れていたのは一日にも満たないのに、夢の中を旅してきた美咲には、とても永く感じられた。
 慎也が身体を起こす。

「やっと逢えたね」

「うん。一緒に還りましょう」

 美咲が伸ばした手を慎也が掴んだその時。
 慎也の背後から禍々しい神気が感じられた。

「!!」

 咄嗟に、慎也が美咲を自分から突き飛ばす。

「美咲!!」

 倒れかかる美咲を後ろから抱きとめたのは建速だった。
 慎也の身体が黒い陽炎にも似た禍つ霊に包まれる。

「慎也くん!?」

 苦しげに喉元を抑える慎也。
 陽炎が慎也の身体から、神霊を包み込み、引きずり出した。
 慎也の身体が崩れ落ちる。
 建速を振り払い、慎也に駆け寄り、美咲はその身体を抱きしめる。
 陽炎に包まれた慎也の神霊を捕まえているのは――暗闇に染まった衣と裳を身に纏った、長い髪の女だった。
 その顔を、美咲は知っていた。

「あ、綾さん!?」

 坂崎綾――そう名乗った女は、今は仄暗い神気に身を包み、禍つ御霊としてそこに在る。
 虚ろな眼差しは、美咲を見てはいない。

「木之花知流比売《このはなちるひめ》様!?」

 美咲の背後で、宇受売が叫んだ。
 比売神の虚ろな目が、一度閉じられ、もう一度開く。

「!?」

「お前は、比売神ではない――闇の主!?」

 宇受売の叫びに、美しい唇が笑みの形をとった。
 開いた瞳は、美しい琥珀色だった。

「伊邪那美よ。伊邪那岐の神霊は頂いて往く。取り戻したくば、今度はそなたが追ってくるがいい。黄泉国へ」

 比売神の美しい唇から、闇の主の声音が響く。
 比売神は愛しそうに慎也の神霊を抱いていた。
 その姿が闇へと消えていく。

 ようやく逢えたのに。
 また手の届かないところへ往ってしまう。

「いや……」

 抜け殻となった慎也の身体を抱きしめ、美咲は叫ぶ。

「連れていかないでっ!! 返して!!」

 涙にけむる視界の中、慎也の神霊は、今度は黄泉国へと連れ去られた――






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