高天原異聞 ~女神の言伝~

10 天女の羽衣


 美しい天女の舞。
 神田比古は、神々を惑わすその舞を、自分のためだけに舞わせるのが好きだった。
 他の誰にも見せずに、ただひたすら、自分のためだけに。
 優雅な指先が比礼を揺らめかせる。
 澄み切った空の下、空を舞う舞比売の指に、両腕に、絡む比礼は肘から後ろへと風をはらみ、煌めきながら典雅に動く。
 足首に巻いた宝玉の飾りが空《くう》の階《きざはし》を刻むごとにしゃらりと鳴り響く。
 高く結い上げてから下ろした艶やかな髪が舞に合わせて揺れるのを見るのも気に入りの一つだ。
 近づいて、そのすらりと白い腕を掴んで引き寄せる。
 先ほどまで喜びに満ちあふれていた天女の容が、舞いを中断させられて、今は不機嫌に自分を睨みつけている。
 その表情も麗しく、そそられる。

――そなたはいつも、私に舞えと言いながら、舞い終わるまでまで待ったためしがない。

――待ちきれぬのは、そなたの美しさのせいだ。美しい舞が、俺を急き立てる。

 舞で上気した肌は熟れた桃のように滑らかで、馨しく匂い立って自分を誘う。
 乱れた薄絹の舞装束の合わせに手を差し入れると柔らかな内腿の奥はすでにしっとりと濡れていた。

――宇受売。そろそろ俺の妻問いを受けてくれ。

――このままでは、駄目なのか。私はそなたといられればそれでよいのに。

――このままでは、俺が耐えられん。そなたの傍にいつでもいたい。いつでも見て、触れていたいのだ。

――妻にならずとも、いつでも触れているではないか。こうして触れるのを許したのは、今はそなただけだ、神田比古。

――だからこそだ。そなたが俺のものだということを皆に知らしめたい。俺が死ぬまで、ともにいてくれ。死んだなら、天へ還るがいい。だから、それまでは地上で、俺に囚われてくれ。

 困ったように、宇受売は咲った。

――そなたのような男が、すぐに死ぬはずがない。私を天へ還すつもりなどないくせに。

 空を蹴って、宇受売が神田比古から離れる。
 だが、神田比古の大きな手が宇受売の剥き出しの脹ら脛をとらえ、白く美しい足の甲にくちづける。

――ああ、宇受売……天になど渡せぬ。俺が生きている間は、決してそなたを誰にも渡さぬ。

 大きく息をついて、宇受売はそれ以上抵抗を止めた。

――仕様のない男……では、そなたの気が済むまで、付き合うことにしよう。

 そうして、引き寄せられるままにその腕に囚われ、自分からも腕を伸ばしその顔を引き寄せる。
 受け入れられた喜びに、神田比古は抱きしめる腕に力を込める。
 唇が優しく重なり、やがてそれは甘く、深く、執拗になる。
 幸福だった。
 目の前の幸福に、ただただ、酔いしれていた。

 終わりが来るなど、考えることもなく――





< 277 / 399 >

この作品をシェア

pagetop