高天原異聞 ~女神の言伝~

 朝日の明るさを感じて、月神は目を覚ました。
 だが、目に映る部屋の天井の造りは、見慣れぬものだった。

「――」

 起き上がろうとしたが、出来なかった。
 身体が重く、力が入らない。
 そうして、ようやく昨夜の出来事を思い出した。
 とっさに衣服に触れる。
 上衣の胸紐は解けていたが、褌は辛うじて身に付けている。横に身体を倒して、ようやく、上半身を起こす。
 酒は抜けたはずなのに、身体が震えて力が入らない。
 誰もいない宴の間には、片付けられていない宴席がそのまま残っている。
 食事は美味かったが、舞や謡は天津神の方が洗練されていた。
 少々飽きていたので勧められるままに杯をあおったが、あの酒を飲んでから、おかしくなったのだ。
 最初から、これが目的だったのか。
 大宜津比売の策にみすみす嵌った愚かな自分が信じられなかった。

「……」

 その場に在ることが耐えられず、神威を使って、ようやく月神は空を跳んだ。

 早く高天原へ返らねば。

 だが、月神の神威は僅かしか発動せず、高天原にある月の宮に返り着くのもやっとだった。
 月の宮の前庭から自室までの道のりが、あまりにも永く感じられた。
 そして、階を上がることも出来ずに力無く頽れてから、気づいた。
 身体が女体となっている。
 昨夜は望月。
 新月までは女体となるはずがないのに。

「月読――?」

 言霊をかけられて、振り返ると三貴神の末である建速が立っている。

「建速……何故、此処に……」

 大きな体躯が近づいてくる。
 階に覆い被さるように倒れ込んでいる月神の身体を、荒ぶる神が軽々と抱き上げる。

「我らは三貴神だぞ。そなたの異変に気づかぬはずがない。何があった?」

「……」

 言いたくなかった。
 酒に混ぜものをされたあげくに、身を穢されたなどと。
 思い返すだけで、屈辱に身が震える。
 だが、荒ぶる神は抱き上げた月神の身体の異変に気づき、何事があったのかすぐに察した。

「陽の神気を奪われたのか――」

 言われて初めて、月神も気づいた。
 月神は、陽の神気と陰の神気を併せ持つ希有な神であった。
 だからこそ、その調和を得る為に月の満ち欠けに合わせてその姿も変わる。
 男神では陽の神気を保ち、女神では陰の神気を保つ。
 だが、一方的に交合うことで陽の神気を大宜津比売に奪われたのだ。
 陽の神気が根こそぎ奪われたのなら、身の内に残っているのは、陰の神気のみ。
 身体が女体になったのも頷けることであった。
 男神である建速に抱き上げられていると、服越しに触れ合っている部分から陽の神気を感じて少し楽になる。
 早朝であったために誰にも見咎められることなく、二柱の神は月神の部屋へ入る。
 褥に横たえられると、月神は女体を隠すように身体を丸めた。

「月読、苦しいのか?」

「……建速、私は、神去るのか……?」

「何を莫迦なことを」

「だが、苦しくて堪らぬ……」

 震える身体を自身で抱きしめるが、おさまらない。
 そんな月神を荒ぶる神は仰向ける。

「……?」

 容易く帯が解かれ、申し訳程度に結ばれていた胸紐も解かれる。
 褌は一気に引き抜かれ、月神は瞬く間に裸身にされる。

「何を……」

 抵抗も出来ぬ身体に、上衣を脱ぎ捨てた荒ぶる神の大きな体躯が重なってくる。

「陽の神気を補えばいいだけだ」

 直に触れる肌を通して、月神の身体に荒ぶる神の神気がゆっくり流れ込んでくる。

「ああ……」

 その温かさに、月神は喘いだ。
 陽の神気が流れ込んでくる心地良さに、先程の苦しさがじわじわと遠のいていく。
 月神がさらに身をすり寄せ、細い腕が広い背中にしがみつく。

「建速……」

 見上げると、荒ぶる神は小さく咲っていた。

「月読、そのように視つめるな。誘っているのだと勘違いされる。俺はそなたの対の命ではない。出来るのは、ここまでだ」

 そうして、荒ぶる神は月神の唇を己のそれで塞いだ。
 驚いた月神が逃れようと容を背ける前に、重なった唇から陽の神気が流れ込んでくる。
 それは、肌が触れているよりも、より強く感じられた。
 そのさらなる心地良さに、月神は抗うことを忘れた。

「どうだ?」

 唇が僅かに離れて、荒ぶる神が問う。

「もっと……もっとだ」

 一度離れた唇を、今度は自分から引き寄せる。
 荒ぶる神が、また小さく咲った。

「気の済むまで」

 舌を絡め合い、深く貪るようにくちづけあう。
 陽の神気を取り込みながら、月神は必死で荒ぶる神に身を寄せた。
 それは、さながら激しく交合うようだった。





「……」

 その様子を、気配を隠して部屋の外で窺っているのは太陽の女神。
 美しい容は血の気を無くし、握りしめた拳は震えていた。
 そして、さらにそんな太陽の女神の様子を隠れて視ている思兼命。
 その容は、思い通りに事が運んだことで嗤っていた。





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