真実の永眠
01話 出逢
 忘れてしまいたい。
 そんな悲痛な願いは、“忘れてはいけない”事だと気付くだろう。
 聞こえているだろうか、あの日の私に。
 忘れてしまいたいと嘆いた日々よりも、忘れてしまった日の方が、本当は悲しいのかも知れない。

 恋をしました。
 壊れるくらいに、人を、あの人を、好きになりました。
 出会いは、あの人の好きな春でした。
 桜の木が、葉桜に変わっていく、春。






 高校生活の一年目を終え、この春、二年生へと進級したとある日。自室で寛いでいた私の携帯電話に、友人からメールが届いた。ディスプレイには〔山本麻衣〕と表示されていた。
 私は少しばかり驚いた。麻衣ちゃんは、同じ高校に通う同級生だ。しかし、それ程親しい間柄ではなかったし、連絡を頻繁に取り合うという事もなかったからだ。
<雪音ちゃん、来週の日曜日、H高校にバレーの試合観に行かない?>
 雪音とは私の名だ。だから宛先間違いという事ではなさそうだった。
 そういえば以前、他の友人も交えて麻衣ちゃんと遊んだ時、二人でも遊びに行こうねと言われた事を思い出した。その時は社交辞令だろうと思っていたのだけれど、こうして現実になった事に嬉しく感じた。
<いいよ>
 そう、返信する。
 テーブルに置かれた卓上カレンダーをチェックし、予定を告げる印など付いていない事を確認して。
 元々スポーツ観戦は好きだった。けれど、バレー観戦をするのは初めてで、何だか凄く楽しみになった。
<よかった。じゃあ十時にショッピングセンターに待ち合わせね。実は、試合にうちの彼氏が出るんだ>
<了解。へぇ、そうなんだ>
 彼氏の試合応援、憧れる事は多々あった。だが、私は未だに男性との交際経験が皆無だ。現在十六歳。来月誕生日を迎えるので、十七歳になる。彼氏、という存在に憧れる年齢でもあった。
 だが、簡単に付き合うとか別れるとか、そんな関係には嫌悪感を抱いていた。簡単に冷めていく想いを、恋などと呼んでいいのだろうかと。素敵な出会いをして、一途に恋をして、一人の人とずっと想い合えたら……。以前友人とそんな話をして、古い価値観だと笑われた。
 それでも私は、そんな恋愛が出来ると信じている。
<雪音ちゃん確か彼氏はいなかったよね? 試合で素敵な人見付けられたらいいね>
<そうだね。ありがとう>
 ここでやり取りは終わった。
 実は私も少しだけ、期待していた。というより、予感がした。その日、何かしらの出会いがあるんじゃないかって。





「おはよう、雪音ちゃん」
「おはよう」
 待ち合わせ場所に到着してすぐ、私は店内に取り付けられた時計を見た。それは丁度十時を指している。お互いに丁度いい時間に到着した事で、どちらも待たされ待たせる結果にはならなかったようだ。
 すぐにH高校へと向かう。その道中、麻衣ちゃんの彼についてを教えて貰った。
 彼は他校生なのだそうだ。私達が住んでいる場所から、交通機関を利用して一時間掛かる場所に麻衣ちゃんの彼は住んでいるのだそう。友人の紹介で知り合い、すぐに意気投合し付き合う事になったのだと言う。
 へぇ、と相槌を打ちながら歩くこと二十分、私達は目的のH高校へと到着した。
「うわぁ、凄い人」
 各校のバレー部員に加え、監督、顧問、応援客といるのだから、人が多いのは当たり前なのだが、素直な感想が口に出た。
 体育館は凄い熱気だ。
 今は四月の半ば。今日はこの時期にしては珍しく気温が高めで、暑いくらいだった。館内の二階へと上がり、適当に人を掻き分けて漸く落ち着く場所を見付けたその時。
「あっ! ちょうど今、彼氏の学校が試合してる!」
 手摺りから身を乗り出し、嬉しそうに麻衣ちゃんが叫んだ。
「ほんと? 麻衣ちゃんの彼出てる?」
「うん、出てる出てる。あれ──」
 そう言って麻衣ちゃんが指差した先を、私も一緒に見た。
「どれ?」
「今、サーブしようとしてる人」
「ああ、あの人」
 意外だ。
 彼を見て、それが正直で率直な感想だった。勿論口には出さなかったけれども。
 麻衣ちゃんは結構派手な子だ。これまで男性との噂も絶えず、一人の人と長く続かない、なんて友人から聞いていたし、聞かなくても噂は色んな場所で流れていた。そしてそれは、麻衣ちゃん自身も認めていた事だ。
 そんな話を聞き、自分には考えられない理解し難い経験が麻衣ちゃんには多々あるようだった。今まで付き合った男性も派手な人ばかりだったし、実際に見た事もあった。
 だが、たった今麻衣ちゃんが教えてくれた“彼”は、これまでの男性とは外見的には間逆だった。
 彼はとても真面目そうで、遊んでいる雰囲気などまるで皆無だ。何だか以前に比べ、麻衣ちゃんが丸くなったのは、もしかしたら彼のお陰かも知れない。
 しかし、元々麻衣ちゃんは、自分に対して不誠実な訳ではなかったし、寧ろ逆に律儀な所もある。
 私は麻衣ちゃんに対し、そう思っていた。
 隣にいる彼女を横目で見やる。彼女は嬉しそうに試合を(彼を)眺めていた。
 私はすぐに視線を前に戻した。
 それにしても、彼のいる学校は圧倒的な強さだった。
 時々感嘆の声が漏れる。
「彼氏さんの学校、強いね」
「うん。県で一番の学校だから。全国大会に出るくらいだよ」
「へー、そうなんだぁ」
 失礼ながら、そんなに強いとは正直思っていなかったから、素直に凄いと思った。
「――雪ちゃん、麻衣ちゃん!」
 突然誰かに呼ばれて、私達は後方を見る。
 そこには、同じ学校の友人が三人、私達の後ろに立っていた。
「二人も試合観に来てたんだ」その中の一人がそう言った。
「うん。うちの彼氏が試合出てて。うちの彼氏、今ちょうど試合してるT高校の人。確か美咲の彼氏もT高校のバレー部だよね?」
「そうそう」
 美咲と呼ばれた子は、嬉しそうに頷いた。
 私は小さく「へー」と声を漏らした。
 T高校は同じ地区ではないし、普通に暮らしていたらなかなか会う機会などない距離だ。一体どうやって知り合うのだろう? やはり紹介なのだろうか。頭の隅でそんな事を考えながら私は視線を下方に移し、試合観戦に集中する事にした。
 しかし、細かいルールなど分からないし、バレーの試合観戦は初めてなものだから、どうしてこちらの点に繋がったのか、何故あちらの点になったのか、訳が分からない。
 そして訳の分からないままに試合が終わった。T高校が勝ったのは流石に分かったので素直に喜ぶ事は出来たけれど。
 毎年全国大会に出場するくらい高いレベルの学校だから、ここに集まった学校など彼らからしてみれば弱いのだろう。そんな事を考えながら私はT高校の勝利に素直に喜ぶ麻衣ちゃんを一瞥し、試合を終えたT高校のバレー部員をぼーっと眺めていた。
 勝利に顔を綻ばせ、監督の元に駆け寄る人、仲間と笑い合っている人、水を飲んでいる人、タオルを受け取り汗を拭っている人。
 色んな人を眺めていた。
 その時──。
 応援席の方から駆け寄って来た一人の少年に、目を、奪われた。ユニフォームを着用していないから、レギュラーでも控えでもない人だろう。ただ、服装からT高校のバレー部員だとは理解した。遠目だったから顔はよく見えないけれど、その人から、目を離す事が出来なかった。






 出会いは、春。
 桜の木が、葉桜に変わっていく、春でした。
 きっと私は、一目見た瞬間に、この瞬間もうすでに、彼に恋をしていたのだろう。
 レギュラーでも控えでもない、応援席にいたあの少年に。

 この瞬間始まった恋に、どれだけの絶望と幸福を知っただろう。
 忘れてしまいたい。
 そんな悲痛な願いは、“忘れてはいけない”事だと気付くだろう。
 聞こえているだろうか、この日の私に。
 忘れてしまいたいと嘆いた日々よりも、忘れてしまった日の方が、本当は悲しいのかも知れない。
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