真実の永眠
33話 邂逅
 二月になった。
 それでも春らしい陽気がやって来る気配は訪れず、毎日寒い日が続いている。
 もう、二月。
 二月のイベントと言えば、そう。
 ――バレンタイン。
 バレンタイン前には大抵、そわそわしながら忙しなく準備に取り掛かるものだが――少なくとも今までの私ならそうだったのだが、今年は違った。
 私は今、酷く落ち込んでいる。



「え、会えないって言われたの?」
「……うん」



 二月某日。
 私は麻衣ちゃんと、今日も昼前から市内に遊びに来ていた。
 そしてこれから、中本さんの家に遊びに行こうとしている所だ。その道中、私達は今年のバレンタインの事について話し合っていて、私は先日優人とのメールで、今年のバレンタインには会えないと言われてしまった事を、麻衣ちゃんに報告したのだ。
 ――十四日、会えない?
 ――ごめん、今年はバイトや自動車学校とか色々あって忙しいから会うのは無理かも。
 優人に断られてしまったのを思い出して、それはもう大きく溜息をついた。
「でもでも、忙しいから会えない訳で、別に会う事を嫌がってる訳じゃないしさ」
「そうだけど……」
 何だか麻衣ちゃんの台詞も、ただフォローを入れているだけのように感じてしまうし、たまたまその日断られたくらいで、何もかもを拒否されたように感じるのだ。更には、本当に忙しいのかさえも疑ってしまう始末。
 どうだろう、この素晴らしく面倒な性格は。
 開き直って自棄になって、思い切り笑いたい気分になった。突然「あはははは」なんて声高に笑えば、周囲は驚くんだろうな、なんてどうでもいい事を考える。
「……ウーン……」
 麻衣ちゃんが急に立ち止まったので、私もそれにつられるように立ち止まる。
 何かを考え込んでいる彼女を見て、私は怪訝な顔して声を掛けた。
「……麻衣ちゃん?」
「会えないってだけで、渡す事自体は迷惑じゃないんでしょ?」
「さぁ……」
「さぁ、って……」
「それは、私が判断していい事なのかが分からない……会えないって事は、貰いたいとは思ってないんだって、私は解釈しちゃったから……貰っても別に迷惑に思う程じゃないのかも知れないけど、特別欲しいと思ってる訳じゃないんだなって……」
 ネガティブな発言になると、どうしてこう、饒舌になるのだろう。嫌な口だ。
「そんな悪い方に考えちゃ駄目だよ。渡すくらい別にいいじゃん。あ、裕也に渡して貰うように頼んでみようか?」
「え、でも……いいのかな」
「いいよいいよ。どうせ今から行くんだし、直接頼んでみよ」
 麻衣ちゃんは笑顔でそう言うと、再び歩き出した。それに付いて行くような形で私も歩き出し、私達は中本さんの家へと急いだ。




「おー」
 中本さんの家へと到着し、麻衣ちゃんがチャイムを鳴らすと、彼は待たせる事もなく玄関扉を開けた。そして中に入るように促す。
 以前の事があったので、私は玄関を入ってすぐに、靴を確認した。以前のように靴は散乱しておらず、今日は三足程の靴が綺麗に並べられているだけだった。
 どうやら今日は、友達は誰一人来ておらず、家には一人らしい。
 それを聞いてほっとした。元々騒がしいのも人が多いのも好きではなかったからだ。
 部屋に通されて、私は以前と同じく、ベッドの端にちょこんと座った。麻衣ちゃんと中本さんはベッドの上で寛ぐようにして座っている。
 今日は以前のように騒がしくないので、とても心地よく感じていた。
 外はいい天気で、昼時ともあって、寒いけれど爽やかな陽気だ。
「!」
 キョロキョロしていると、以前は開けられていなかったクローゼットが、今日は開いている事に気が付いた。
「あ」
 私は、クローゼットの中に、自分の大好きな漫画が並べられている事に気付き、思わず声を出してしまった。
「ん? どうした?」
 声を拾った中本さんが、私に声を掛けて来た。
「あ、えっと……クローゼットにあるあの漫画、」
 言いながらその漫画本を指差した。二人が、その指差した方向を同時に見る。
「ああ、あのサッカー漫画?」
「うん。あれ私も好きで、集めてて」
「そうなんだ。読みたかったら読んでいいよ」
「ありがとう」
 お礼を言って立ち上がると、クローゼットにある漫画を、遠慮がちに一冊取り出した。
 それを見ていた中本さんが、
「あ、それまとめて全部出しちゃっていいよ」
「あ、じゃあ、」
 そう言うものだから、今度は遠慮なくごっそりと取り出そうとする。
「雪音ちゃんって漫画好きだったんだね」
 何やら携帯電話を弄りながら、意外、というように麻衣ちゃんが言うと、
「意外だよな」
 二人はビックリしたように、一生懸命何冊も取り出す私を見ていた。
「うん、実はかなり好き」
 十冊程両手に抱えながら、私は満面の笑みでそう答える。本をベッドの脇に重ねるように置くと、すぐに読み始めた。



 あの日と違って、本当に静かだ。
 中本さんは何やら雑誌を読んでいて、麻衣ちゃんは携帯電話を弄っている。
 私は黙りこくって漫画を読むのに集中していた。
「あ、そうだ。ねぇねぇ、」
「んー?」
 突然何かを思い出したかのように、麻衣ちゃんは中本さんに話し掛けていた。
「バレンタインデーにさー、桜井さんと会ったりする?」
 その言葉に、私は本から顔を上げて麻衣ちゃんを見た。
「いやー、俺別にバレンタインあいつにあげる訳じゃないしなぁ」
 読んでいた雑誌から目を離さずに中本さんがそんな事を言うものだから、私は思わずふふっと笑ってしまった。
「そうじゃなくて!」
 こんなやり取りは、二人の間では日常茶飯事なのだろう。呆れた様子の麻衣ちゃんは、そのまま言葉を続けた。
「……だから、雪音ちゃんは、出来れば今年も桜井さんにチョコを渡したいって思ってるの。でも桜井さん、今年は忙しいからその日は会えないんだって。だから裕也から渡して貰えないかと思って」
 その言葉に漸く雑誌から顔を上げた中本さん。
「忙しくて会えないのに、俺と会ってたら笑えるだろ」
「いや、笑えないから!」
「ふふ」
 二人の会話に、私は声を出して笑った。
「雪音ちゃんは笑ってくれてるじゃん」
「……」
 いかにも呆れた、という表情で、麻衣ちゃんは彼を冷たい眼差しで見ている。
「まぁそれは置いといて。……今高校はどこも自由登校だろ? だから俺も優人も、登校日以外は多分学校には行かない。渡すとしたら、バレンタインデーを過ぎると思うよ? 登校日に渡す事になるから。それでもいいなら全然渡すよ」
「登校日っていつ?」
「あー……忘れた。確か二十日前後だった気がする」
 中本さんはベッドの横に放り投げてある通学鞄に手を伸ばしそれを引き寄せると、何やら中をゴソゴソと漁っている。
「あった」
 学校から配布されたのだろう、日程が書かれた紙を取り出して登校日を確認する。
「登校日二十一日だわ」
 どうする? と問い掛けるように私と麻衣ちゃんを交互に見やる。
「……優人に渡して貰えるなら、私はいつでも」
 今年は渡せないと思っていた私にとって、これは願ってもない事だ。
「――じゃあ十四日に、雪音ちゃんはうちにそれを渡してくれれば、うちが裕也に渡しとくよ。うちらその日も会う事になってるから」
「――で、俺が麻衣から預かったチョコを、責任持って優人に渡しておくよ」
 私は二人の協力に心から感謝した。
「ありがとう……!」
 私は笑顔でお礼を言った。そんな私を見て、
「いやー、ほんと一途だなぁ」
 手に持っていた紙をそのまま放り投げながら、中本さんが関心するようにそう言った。そして続ける。「何で優人が未だに付き合わないのか理解に苦しむ」と。
「桜井さんって理想高いの?」
「知らね」
 中本さんはまた雑誌に視線を落とした。
「男同士でそういう話しないの?」
「優人は女の話も自分の話も、自分からはしないんだよ」
 雑誌から顔を上げる事なく淡々と話す中本さん。
「じゃあ裕也から色々聞けばいいじゃん」
 何で聞かないの? と麻衣ちゃんは続ける。
 それを私は興味津々に聞いていたが。
「恋愛の事根掘り葉掘り聞いたら、俺があいつの事好きみたいじゃん」
「何でよ!」
「ふふふ」
 結局いつもの調子に戻ってしまい、けど私はその光景が可笑しくて楽しくて笑った。



 私は読み掛けの漫画を、また読み始めて。
 二人もそれぞれ好きな事をしていた。
 ――その時。
 静かな部屋に、携帯電話の着信メロディが流れた。
 これは、自分の携帯電話じゃない。
 どっちの携帯だろうと、私は本から視線を外し二人を交互に見た。
 中本さんがズボンのポケットをゴソゴソとしていて、それを見ている麻衣ちゃん。その光景で、中本さんの携帯電話が鳴っているのだと知れた。
「……電話?」
 鳴り止まないメロディにそう予想したのか、麻衣ちゃんが尋ねると、「多分」と中本さんは言った。
「……あ」
 中本さんは、画面に表示されている文字を見た後、こちらを見た。
「?」
 疑問符を頭上に浮かべる私を直視して、今も尚鳴り続ける携帯電話の画面を、こちらに向けた。
 私が中本さんの顔から画面へ視線を移すと同時に、彼は言った。




「――優人からだ」
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