真実の永眠
05話 彼女
 それが真実ならば、あなたは一体、どんな気持ちで。







「おかえり」
 化粧室から戻ると、そこには麻衣ちゃんしかいなかった。辺りを見渡しても二人の姿は見えない。
 二人は? きっとそんな顔を、私は麻衣ちゃんに向けていたのだろう。
「二人は館内散歩して来るって。多分、菜々ちゃんが彼氏に会いに行くんだろうね」
 私が問わずとも、そう教えてくれた。
「麻衣ちゃんは? 会いに行かなくていいの?」
 麻衣ちゃんの隣に、腰を下ろしながら尋ねた。
「もうすぐ休憩も終わるし、うちは試合が終わってからでいいよ。終わってからの方がゆっくり話せると思うし」
「そっか」
「うん。てか雪音ちゃんがトイレに行ってる間、例の彼移動してたみたいだから、こっちに戻って来る時会わなかった?」
 丁度今、彼と擦れ違った事を言おうかと考えていた所だった。どうやら麻衣ちゃんにはしっかり見えていたようだ。
「……擦れ違った」
「やっぱり擦れ違ったんだぁ! どうだった?」
「ど、どうって……」
 私はどう言えばいいのか分からず、困惑した。
 一言で言うなら、素敵だった。
 けれども。
 遠い存在に思えた。遠くから見る事すらも憚られるような、そんな想い。
 擦れ違っただけでも嬉しかった。けれども、切なさが勝ってしまって、私は表情を曇らせ俯いた。横に流れた長い髪の毛で私の顔は隠れただろうから、麻衣ちゃんには私の表情は分からないだろう。
 やはり麻衣ちゃんは特に気にした様子はなく、寧ろ、
「わざとぶつかっちゃえば良かったのに……」
「ムリだよ~!」
 ニヤニヤしながら揶揄する麻衣ちゃん。それに恥ずかしくなってしまい、あたふたしながら首を振った。



「ただいまー」
 もうまもなく決勝戦、という頃、席を外していた二人が戻って来た。
 それからまた四人で試合観戦をする。
 決勝戦なだけあって、ドキドキするような、熱い接戦が繰り広げられていて、今までよりも遥かに応援に力を入れた。
 どちらかが点を入れれば、どちらかが点を取り返す。やはりT高校が押しているが、膠着状態が続いている。点を入れれば観客がワァァッと声を上げ、嬉しさに拍手をしたりもしている。
 やはり決勝戦の迫力は凄い。試合も、応援も。
 絶対勝つんだという強い想いを抱きながら試合に望んでいるだろうから、負けたら悔しいだろう。けれど、この試合を観ていると、敗者もある意味納得のいく試合になるのではないだろうか。そう思わせる試合だった。
 第一ゲームはT高校の勝利。
 まだあと二ゲームあるから、S高校に挽回のチャンスはある。彼のいるT高校を今まで応援して来たけれど、S高校にも頑張って欲しいと、純粋にそう思えた。


 第二ゲームが始まるまでの僅かな時間に、また四人で話をしていた。
「ところで雪ちゃんは好きな人もいないの?」
 雪音ちゃん、と先程まで呼んでいた理恵ちゃんは、菜々ちゃんと同じように“雪ちゃん”と呼び始めた。
 理恵ちゃんのその言葉に、菜々ちゃんもこちらを向いた。
 少し、言葉に詰まる。が、
「……好きな人、は、……いる」
 自分に嘘は吐きたくなかったので、正直に答えた。
 好きなのに。今この気持ちは確かなものになりつつあるのに、好きじゃないなんて、好きな人はいないだなんて、そんな事言いたくないと思った。いつも自分の気持ちに素直に生きたいって、そう想っていたから。
 たとえ彼が遠い存在でも、手が届かない存在だとしても、彼を好きになりたいのだ。


 そう想う程に、私は彼を好きになってしまったんだ――――……。


 今、そう自覚した。
「いるんだ! どこの学校?」
「T高校だよ。レギュラーではないんだけど」
「本当!? 控えの中にいる!?」
 心底驚いた表情と、けれど何処かワクワクした表情も合わさった理恵ちゃんの顔は、階下の控え選手へと向けられた。何だか手摺りを乗り越えてしまうんじゃないかという程に身を乗り出して、どれ? どれ? と探している。
 その姿に少しだけ苦笑して、
「ううん、控えでもないよ。応援にいる人」
 私はそう答えた。
 応援!? そう言いながら、今度は応援席の部員に目を向けた。
「あんなに沢山いる中で、よく見付けたね……」
 その言い方は、心底感心しているかのようで、私はまた苦笑した。
「どの人?」
 分かり切っていた質問だったので、分かり易い返答を、予め用意していた。今回、彼はいつもの黒いスウェットを着用していなかったが、とても目印になるものが彼にはあったので。
「見えるかな? あの人。手に包帯巻いてる人」
 彼は応援席の一番前にいた。
 手摺りに手を乗せていたお陰で、包帯もしっかり見える。バレー部だから、恐らく突き指でもしたのだろう。
「ああ! 名前は分からないけど顔は知ってる。確か同い年だったよね?」
「うん」
 理恵ちゃんも彼に関しての情報は知らないみたいだった。やはりレギュラーとして活躍してる訳ではないので、誰も名前は知らないのだろうか。
 私は彼の方を見ながら、小さく肩を落とした。
「あたしの彼氏に、彼について何か聞いてみようか? あたしの彼氏は三年生だし、彼氏が聞けば正直に答えてくれるんじゃないかな」
 菜々ちゃんの言葉に、私達三人は一斉にそちらを向いた。
 どうしたらいいか分からなくなって立ち止まっている私に、それは救いの言葉にしか思えない程に、ありがたい言葉だった。
「そうして貰いなよ。やっぱり好きな人とはメールしたいし、何か繋がりは持たなくちゃ」
「そうだよ。うちの彼氏は聞いても役に立たないし、菜々ちゃんにお願いした方がいいよ」
 麻衣ちゃんと理恵ちゃんに、興奮気味に説得される。
 みんなの協力が、とても嬉しかった。私はみんなに感謝しながら、その言葉に甘えて、菜々ちゃんにお願いする事にした。


 第二ゲームも、T高校の勝利だった。
 S高校も頑張っていたけれど、もう一歩の所で追い付けず。第三ゲームでS高校が勝利したとしても、二ゲーム取られたS高校が優勝する訳は無くて。
 この時点で優勝はT高校に決まっていたが、最後まで手を抜かず戦い抜こうとする両校に、ここにいる全員が心から感動した事だろう。
 第三ゲームになると、両校の熱い戦いに感動し、私達は言葉を交わす事なく試合に集中していた。
 第三ゲームもT高校が勝利し、優勝を果たした。
 全国大会出場への道が、絶たれた訳ではない。けれども、今回の試合で負けたチームの三年生は、今日限りで部活を引退する。
 その為、S高校の三年生で泣いている人もいた。監督や顧問に労いの言葉を貰いながら、そして送りながら。
「ありがとうございました」
 力強い挨拶。
 両校が互いに、そして監督や顧問に向けて、最後は応援席に向かって。
 笑顔溢れるT高校のメンバーと。対照的な表情のS高校のメンバーと。どちらも、カッコイイ姿だ。
 館内には拍手が響き渡り、その音と共に、春の大会は幕を閉じた。







 私と麻衣ちゃんは、帰り支度を整えてはいたが、暫くは応援席にいた。
 麻衣ちゃんは、試合を終えて監督の話を聞いているか、或いはもう着替えに入っているかの彼を待っている。
 私は――――、
「雪ちゃん!」
 菜々ちゃんの呼ぶ声。勢いよく顔を上げた。
 私はその後に続く言葉に、酷く緊張していた。いや、怖かった。何故なら菜々ちゃん達は、私の好きな彼の情報を得る為に、試合を終えた三年生の彼に会いに行っていたのだから。
 私は二人が戻って来るのを待っていたのだ。
「……」
 黙って二人を見つめ、続く言葉を待った。
「あのね、彼氏が、」
「……」
「『あいつに彼女がいてもいいなら、メール出来るか聞いてみるけど』って言ってたんだけど……」
「……」
 言葉が、出なかった。
 空気が重くなる。
 ゾロゾロと帰って行く応援客の声も、どこか遠くに聞こえた。
「……そっか」
 それだけ言うと、菜々ちゃんから視線を逸らして俯いた。
 言えるのは、言えたのは、それだけだった。
 彼女がいそうだという私の憶測、外れてくれたら良かったのに。彼は彼女をとても大切にしているのではないだろうか、何となくそう思った。
 素敵な彼女がいるのでは、邪魔をしてはならない。彼とメールをしたりして、彼女を不安にさせたり二人が別れてしまってはいけない。
 そんな事、したくない。
 好きなら、彼の幸せを願わなければいけない。
 これからだった恋が終わってしまうのはとても悲しいけれど、彼女から彼を奪ってまで、自分のものにしたいとは思わない。だから、
「や……「でもその彼女、かなり男好きで、彼氏がいるのに色んな男と遊んでるらしいよ。彼と付き合ったのも、顔がいいから付き合ったって」
 やめとくよ、そう言おうとした私の言葉は遮られ、代わりに衝撃的な言葉が私の耳に届いた。
 否、みんなの耳に届いた。
「……マジ?」
 怒気を含んだ声色で、麻衣ちゃんが口を開く。
「マジらしいよ。T高校では有名なんだって。かなり可愛いらしいけど」
 そう言ったのは菜々ちゃんだったのか理恵ちゃんだったのか、どちらか分からないけれど、問題はそこじゃなくて。
 その事実は、私の胸を締め付けた。
 真実ならば、それはどんなに、悲しい事だろう。彼はどんな気持ちで、彼女を想っているのだろう。
 考えても何も分からないけれど、彼女がいるのは紛れもない真実なのだから、やはり彼とメールしてもいいのかは迷っていた。
「でもさ、そんな彼女なら、尚更メールしてもいいんじゃない? それに、菜々の彼氏はまだ本人に確認してないじゃん? 彼女がいてもいいなら、だからさ。もしその彼本人がメールをOKしてくれたなら、してもいいって事じゃん。雪ちゃんが遠慮して断る事ないよ」
 まさに正論、といった意見だ。
「取り敢えず、本人に確認取って貰おうよ」
 理恵ちゃんの言葉に続いて、今度は麻衣ちゃんが口を開いた。
「じゃあ彼氏には、『彼女いてもいいから、取り敢えず聞いてみて』って言っとくね。もう帰らないといけないし、何かあればまたメールするよ」
 複雑な気持ちだったが、菜々ちゃんの言う通りもう帰らなければならなかったので、私達は立ち上がった。
 麻衣ちゃんは帰り際に彼氏に会い、僅かな時間ではあったが話は出来たようだ。私はそれを外で待っていて、麻衣ちゃんと合流してから、一緒に駅へと向かった。
< 5 / 73 >

この作品をシェア

pagetop