真実の永眠
50話 限界
 七月も半ばになり、私と夕海は、地元へと帰る。それは短期間の帰省ではなく、地元に移り住むという事。
 広島での生活は、たったの十ヶ月。
 理由は幾つかあるけれど、一番大きな理由が、広島に住む上で、目的・目標を見失ってしまった事。少しの成長すらしていない半端な状態で地元に戻るというのは、非情に躊躇したけれど。
 このままでいいのか。帰ってしまってもいいのか。何も成長していないのに。
 そんな風に思ったけれど、兄や両親に背中を押された。
 兄は言った。
「結婚はまだ先になると思うから、当分は今の家に住む。地元で少し癒されて、またこっちに来たいと思ったら来ればいい」
 兄の言う通り、私は精神的に参っている部分があった為、やはり地元の温かさに癒された方がいいのだと思う。夕海も、地元に戻る事は大賛成だった。
 地元には戻るけれど、実家には住まず、夕海と二人で新しい家を借りた。
 二十歳になったんだ。いつまでも親に甘えていてはいけないし、広島での生活のお陰で、料理も出来る。その他家事は得意だし、夕海と分担すれば何とかやって行けるだろう。
 そうして、私達は新たな生活を始めた――。
 この選択が後に、“最大の後悔”になるとも知らずに。









 八月が過ぎて。
 九月が始まり。
 それももう、もうすぐ終わる。
 広島の夏は暑かった。だから、地元で過ごす夏は涼しく感じた。海が近いからかも知れない。高層ビルが立ち並ぶ都会とは異なり、風も気持ちよく通り抜ける。勿論、暑い事に変わりはなかったけれども。
 今の時期はとても涼しい。肌寒いと感じる日さえある。
 もうすぐ、十月になる。
 それなのに、夕海の仕事は未だに決まらなかった。
 私は地元に戻った七月の時点で、広島に旅立つ前に務めていたケーキ屋で、また働く事が決まっていた。
 正社員でまた雇って貰えた為に、夕海が働かなくとも経済的に困る事はなかったけれど、やはり、どこかで夕海に対する苛立ちを感じていたのだと思う。
 仕事は勿論、ちゃんと探している。けれど、夕海はまだ十七歳。おまけに高校に行っていないから、ほぼ学歴重視のこんな田舎では、なかなか雇って貰えないのだ。
 漸く面接まで辿り着いても、合否の連絡すら寄越さない会社ばかりだった。
 夕海の所為ではない。それが分かっていても、流石に何ヶ月も無職でいられると、私の負担は大きくなる。無職でもせめて家事をこなしてくれれば助かるが、夕海は殆ど家事をしなかった。掃除もしない、料理もしない。洗濯は、頼んだ時に嫌々するといった感じだ。
 私はどこかで、限界を感じていたのだろう。
 しょっちゅう、夕海と衝突した。
 喧嘩が絶えなくなり、母に相談する事もあった。
 口煩い私に嫌気がさすのか、夕海は「実家に帰ろっかな」なんて言う始末。
 確かに今は私の給料だけで生活出来ているから、夕海がいなくなった所で困る事は何もない。寧ろ食事代が浮くから助かるのかも知れないけれど、その言い草はないだろう。
 流石に許せなくて、罵声も浴びせた。
 そんな毎日に、疲れたんだ。
 朝から晩まで働いていたから、家事は早朝か帰宅後かのどちらかになる。絶えない喧嘩。次第に仕事や家でのストレスが影響して、なかなか眠る事も出来なくなった。
 何もうまく行かない。ネガティブになり、更に状況は悪くなる。悪循環に陥って、心身共に倒れてしまう日がいつか来るかも知れないと思った。






 ある日の夜。夕海と、大喧嘩した。
 夕海とはもう、暮らして行けない。心底そう思った。
 だから、私達は離れて暮らす事にし、夕海は実家に帰り、私はこのアパートに残った。いい機会なのかも知れない。私も、一度一人になってきちんと考えたかったから。
 ずっと一緒にいた分、近過ぎて、夕海の短所ばかりが気になった。姉妹でも性格が全く違っていたし。
 一人は静かだ。そういえば、家で一人で過ごす事は初めてだ。実家にいた頃も、広島にいた頃も、必ず誰かがいて。勿論、一人で留守番は別だ。
 今、私の心を占めるのは、安堵感なのか、孤独感なのか、今はどちらか分からなかった。
 一人になって、漸くゆっくりと考えられるのに、それは災いし、一向に眠気が訪れない。明日も早くから仕事があるのに。
 募る焦燥感、苛立ち。結局この日、私は一睡も出来なかった。
 翌日、ふらふらの状態で仕事へと向かった。
 朝礼で店長の話と、本日の仕事の流れを、ぼんやりする頭で何とか聞いた。
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