カリソメオトメ

8

 誰かを好きになる、そんな当たり前で普通の感情がこんなに大切なものだなんて、あたしは知らなかった。いつもどこかで冷めていて、自分を求める男は屑ばかりで、きっとあたしの前にはそんな男しか現れないと思っていた。

 どんな境遇だったとしても、大切なのはどう生きていくかなのだろう。あたしは馬鹿だから、あんな生き方をしてきた。
 でもたった一度の出逢いから、あたしは変わることができた。いや、変わったのかどうかそれは分からないけれど、少なくとも一人の男性があたしを大切にしてくれるようになった。

 それはあたしにとって、大きな変化だった。

 あたしは運命って言葉を信じることができない。信じてしまうのも、そう思い込むのも簡単だけど、今まで生きてきた人生の中にそんな奇跡はなかった。期待しても裏切られるだけで、気付けば逃げ場すらなく追い詰められている。そんなことを繰り返してきた。
 あたしには何も考えずに眠る、そんな空間すらなかったから。いつも世の中も周囲の人間も斜めから見て、その歪んだ光景が真実なんだと思っていた。

 そんなあたしにこれからを生きていくたったひとつの価値観を教えてくれた男性がいる。彼は自分もまたその価値観を追い求めていて、その為の一切の妥協を捨てていた。

 周囲を徹底的に無視しながらも、その周囲からの評価を受け止めていた。その周囲からの評価こそが己の価値だと言い切っていた。

 強さは弱さとの表裏だと思う。彼のそれは強さだけど、同時に弱さだ。全てを捨て去った、そんな世捨て人にはなれない。

 あたしはそんな真っ直ぐ上を見詰める彼に憧れた。彼と対等の立場に立って、一緒に上を見詰めたいと思った。
 恋なんてそんな感覚は抱いてはならない、そう思っていた。それが彼に対する礼儀で、同時に愛情なんだと思っていた。
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