絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
 直径一メートルはあろうかという、柱の後ろに彼女を連れ込み、顔を近づけて小さな声でゆっくりと話しを始める。
「もしここで、2人が付き合ったって、昔のようには戻れない。分かるだろう?俺は一度お前を裏切った。そのことは、お互い、忘れられない。忘れられないんだ。俺は、もうお前を傷つけたくない」
「う……裏切ったんじゃな……い……。裏切られたとは……思ってないっ」
「事実だよ、俺が愛を裏切ったのは」
「傷ついたって、何だって構わない! ……お願い、誰かの者に、ならないで……」
 ようやく、愛の本心を聞いた気がした。
「愛、俺は、今の彼女が大切だと思っているから、一緒にいるんだ」
「……」
「愛が俺を想う気持ちとは少し違うかもしれない。だけど……」
 今まで見たこともないような落胆の表情は、涙と濡れた睫毛が印象的で。
「泣くな……」
 思わず目を逸らす。
 溜息をつきながら、辺りの視線を向けたと同時に、胸元に柔らかな髪の毛のくすぐったい感触と、腰にまきつく腕の強さを感じる。
「……、忘れろ……俺のことなんか。その方がいいと思ったから、電話の連絡も何もしなかったんだ。
 ただ……エアメールは約束してたから」
 その後彼女は何も喋らず、しばらくその格好のままで泣き続ける。こんな風に女に抱きつかれて泣かれたことは幾度もあったが、彼女だけは、決してないがしろしようとは思わなかった。
「…………落ち着いた?」
 10分くらいはそのままの体勢だっただろうか。相変わらず、その腕は強く腰に巻きついたままだが、しゃくるのは、随分前からおさまっている。視線だけはぼんやりとどこか遠くを見ているようだ。
「……このまま……死んじゃいたい」
「何をバカなことを……、さあ、日本に帰ろう」
「久司は家に帰るの?」
「……ああ、まだ仕事がある」
 彼女はぎゅっと腕に力を込めると、一言言った。
「私達は多分もうきっと、会うこともないんだね」
「……その方がいいとは思う」
 そう言うしかない。
「……あわなき……ゃ……」
 再会しなければ、出会わなければよかった。
 出会わなければ、彼女は何度も泣かずにすんだのに。
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