三日月の下、君に恋した
「誰だ、きみは」

「営業企画部の早瀬です」

「……きみか。いろいろと話題になっている新入りは」


 航の大きな背中に遮られて、前が見えない。でも、梶専務の声がいっそう冷たく厳しさを増したのがわかる。


「私のことはともかく、今朝はわが部の企画会議に出席していただけると聞いていたのですが。なかなかお見えにならないので、迎えにきました」

 航の声は冷静で、落ち着いている。しばらく間があって、梶専務が「わかってる。今から行く」と鷹揚に答えるのが聞こえた。足音が次第に遠ざかる。


 梶専務の気配が完全に廊下から消えると、彼の背中がほっとしたようにゆるむのがわかった。そしてゆっくり菜生のほうを振り向き、「どういうこと?」と聞いた。

 菜生は説明しようとして口を開いたけれど、言葉が出てこなかった。大きな石を飲み込んだように喉が塞がれている。たくさんの思いが胸にこみ上げてきて、息をするのも苦しい。


「まあ、いいけど」

 航はあきらめたように目をそらした。


「……くない」

 菜生は彼の腕をつかんでいた。
< 68 / 246 >

この作品をシェア

pagetop