としサバ
 (女将は酔った自分に肩を貸し、何とか女将の家まで連れて行ってくれる。そして、自分を布団の中に入れ、優しく寝かせてくれる。自分は赤子のように、女将に甘える。いや、甘えまくる。いいねえ。ようし、今夜は徹底的に甘えてやるから)

 信彦は勝手な想像に、酒以上に酔っていた。その時女将の声がした。


 「でも、言っておくけど、介抱して上げるのは閉店してからよ」


 信彦はふら付いた目で腕時計を見た。
 時計の針は7時少し前を指している。


 「閉店は午前だろ」

 「そうね。1時頃かな。まだ、大分時間があるけど。深ちゃん、ゆっくりとそれまで飲んでいてね」

 「あと6時間もあるのに・・・。それまで待つの。よーし、飲んでやる。今日は徹底的に飲んでやる。ウイッ」

 「深ちゃん、それまでに潰れないでよ」

 「それにしても女将は意地悪だ。待てない事をわかっていて、嬉しくなるよな言葉をヌケヌケと口に出すんだから。この意地悪女が。ウイッ」

 「深ちゃん,悪酔いよ。お酒、もうほどほどにね」
 「女将、お愛想」

 「ご機嫌斜めだこと。これに懲りずにまた来てね」

 信彦はふらついた足で『かの川』を出た。
 爽やかな風が、酔った身体を心地良く撫でた。


 信彦は女将に甘えたかった。そして、何もかも忘れさせて欲しかった。


 母親のおっぱいを心ゆくまで飲めなかった赤子。


 そんな赤子のように、信彦はオンギャ、オンギャと大粒の涙を流し、泣き叫びたい心境だった。









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