緑の食事風景
――わかりました。
私もその宗教を信じる事にします。


そう言って「神様」とやらに祈れば、母は私の不安を誘発するのをやめてくれるだろうか。


……否、それは無い。


多分、試験を受けたり生活環境が変わったりして不安が訪れる度に
それに付け込まれるのだろう。


不安が取り払われたら、それは神様のおかげ。

もし何か失敗したら
信仰心が足りないとか、それは耐えるべき試練なのだとか言われて。


事象なんて、どのようにでも言い換えられる。



母の前では、いくら努力して何かを為し遂げても

宗教ありきの偏った評価しかされないのだ。



そして、どうせ母には、自分が偏っているという自覚なんて無い。


議論するだけ時間の無駄である。
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