結婚したいから!

「海空、誕生日おめでとう」


「ありがとう」

ダイニングテーブルに、父と母が並んで座っている。ドラマみたいだ、って思う。お父さんとお母さんがそろって自分の誕生日を祝ってくれるなんて。


今日は、12月20日。わたしは、ごくごく標準的な体重と体格で、この世に生まれたらしい。


初めて入った父のマンションの部屋は、想像以上に広くてびっくりしたけど、必要最低限のものしかなくて、寂しいところだって感じたことは、内緒。

こうして、3人で食卓を囲んでいると、そんな印象も、すっかり消えてるから。

わたしの誕生日に、母が休暇を取ってくれるなんて、何年振りだろう。仕事の後、父が、空港まで迎えに行ってくれたのだ。

事前に準備してくれていたらしい料理も、お酒も、まだあまり3人の口には入っていない。


「夢を見てるみたいだ」


って、父が呟く。
「初恋の人と、娘が、目の前にいるなんて」

母が、少し顔を赤くして、「えへへ」って笑ってる。だめだ、この人、いい年して完全に恋してる顔だ。

それを見て、くすりと優しく微笑んでる父親にも、ちょっと、なんて言うのか、びっくりしてしまう。仕事してる顔しか知らなかったから。


「お父さんも、お母さんのことが好きなんですね」


思わずそう言うと、ごほんごほんと、ふたりして咳き込むから、ほんとにドラマ見てるみたいだと思う。

「ええっと、その、とりあえず、敬語は使わないで話してみて」

父が、咳き込んだせいか、赤くなった顔でそう言う。

「…うん。わかった」

なんか、悪いことしてるみたいな気もするけど。会社では上司と部下だしなぁ。
「そうだね。なんていったらいいのか…、お母さんのこと、好きだよ」


父は、誤魔化さないで、ちゃんと答えてくれた。

あは。びっくりしてる母の顔がおもしろいやら、なんだかわたしまで、照れくさくなってくるやらで、笑いそうになってくる。


「でも、名前も知らなかったって、本当?」

最近になって、母から聞いた話を思い出す。支離滅裂で、結局、意味がわからないところが多かった気がする。

「本当だ。朝、目が覚めたときには、お母さんはもういなかったから」

朝、って…。なんか、両親のそういう話を聞くのって、微妙に気まずい気持ちになる。

それに、父が「お母さん」って呼び慣れてない様子なのに、わたしの前だからがんばってそう呼んでるらしいのが、なんだかまた、申し訳ない気持ちになってくる。

だって、25年ぶりに突然、娘がいるってわかったんだもんね。

聞いていいんだろうか、その日の話を、って気持ちにもなるけど。気になるものは気になる。「うふふふ。だって、あたし、その日、北海道に引っ越しだったんだもん!

朝方目が覚めて、慌てて家に帰ったよ。おじいちゃん、めちゃくちゃ怒ってて、誤魔化すの大変だったぁ」

おかしくて仕方ない、って笑いだす母親を見ると、緊張してた自分が馬鹿みたいに思えてくる。お気楽なひとだなあ、相変わらず。

「なんて言って、誤魔化したの?」

おじいちゃんは、怖いってわけじゃないけど、きちんとした厳しい人だった。到底、母の誤魔化しが通用するはずがない。

「転んで気を失ってたって言っといたよ。なんか、あんまり信じてくれなかったけどね」

…そりゃあ、めちゃくちゃ怒っただろうね、そんな、わかりやすい嘘…。

でも、それまで硬い顔つきだった父が、ふっと笑みをこぼすから、わたしも笑ってしまう。


「どうやって知り合ったのか、聞いてもいい?」

実質、この質問は、父に対するものだ。だって、母の話ではわけがわからなかったから。

「ショックを受けるかもしれないけど、聞きたい?」

こくんとわたしが頷くのを確認してから、父は落ち着いた様子で、語りだした。父は、その当時、大学受験に失敗して、1年浪人したのち、留学することになっていたらしい。

母に出会ったその日は、友人のパーティーに呼ばれていたのだと。

初めて知ったけど、父は「萩原コンサルティングサービス」の社長の三男らしい。そう言えば、姓も同じなのに、気がつかなかった…。

誰か教えてくれたってうよさそうなものだけど。わたしが人の話を聞いてなかっただけかもしれないけど。


「恥ずかしいけど、俺はその1年、ずいぶん荒れていてね。結局、優秀なふたりの兄貴には敵わないんだってことを思い知った気がして。

見かねた親に、追放されるみたいに留学に行かされるところだったんだよ」

品がよくて、穏やかな、今の姿からは想像もつかない。


「だから、その友達って言うのも、たちの悪い連中で。その日も、パーティーって言えば聞こえはいいけど、そいつの持ってる船で、それぞれが連れてくる女の子と朝まで遊ぶ予定だったんだ」

このあたりが、「ショックを受ける」ところなんだろうな、ってことはわかる。その人たちと、父親との間に関わりがあったってこと。


「当時、俺には彼女がいなくてね。その友達の彼女が、事情も話さずに、無理矢理連れてきたのが、お母さんだった」

どうやら、まだまだ「ショックを受ける」ところは、続くらしい。
「本屋に行った帰りに、突然話しかけられて。わけがわからなかったよー、あたし。顔しか知らない隣の学校の女の子だったんだもん」

想像できるな、お母さんの様子。…今とあんまり変わらないな、こっちは。


「見るからに、他の女の子たちとは違って遊び慣れてなさそうだったな。俺は岸で気がついて、今日はやめておくって断ったんだけど、お母さんはそのまま船に乗せられてしまってから、異様な雰囲気に気がついたんだろうな。違う?」

「う、うん。知らない男の子が、やけに馴れ馴れしかったからね。怖かったなぁ」

何十年も前の話なのに、母が微かに身震いする。


「ごめん」

父が、ため息をついて、母の肩を抱いたので、わたしまでドキッとしてしまった。

「い、いいの!庇ってくれたもんね?帰してやれよって、言ってくれたよね?」

母がそう言って真っ赤な顔で父を見上げると、父は笑いだした。


「言ったけど…、君は自力で逃げただろう、海に飛び込んで」

「えええええ!?」

お母さん、若い頃はもっともっと考えなしだったんだね!って続けて言いそうになって、父の手前、我慢した。「海空、本当だよ。どんどん離れていく船の甲板で、男に追いかけられて逃げ回ってたお母さんが、どぼんって冷たい海に飛び込んだときは、見間違いかと思った」

父には、その時の情景がありありと浮かんで見えるのか、目を細めてまだ微笑んでいる。

わたしは、「海空」ってはっきりと呼ばれて、ちょっと照れていたりする。


「それって、もしかして、3月?」

おそるおそるそう聞いてみる。

「ふふふ。あたし、水泳部だったからね!寒中水泳もやったことあったし、何とかなるかなあって思ってたんだ」

服を着たままそんな寒い時期に海に飛び込むなんて。

何とかなるかなあ、なんて、何ともならなかったときどうするつもりだったんだろう。


「でも、案の定、岸に上がれなくて、しばらく海を泳いでただろ」

父がまたおかしそうに笑う。

「だって、あの港、砂浜とかなかったもんね…。梯子がないか探してたんだけど、がっちりコンクリートで固めてあって、船しかつけられないようなところだった。

あなたが助けてくれてよかった」

母は恥ずかしそうに笑っている。
「たまたま、そこに、うちの父親の船も停めてあったから。そこに引っ張り上げて、休ませたんだ」

父が、わたしを見ながら、そう説明してくれた。

「優しくて、かっこよかったなぁ。少し話したら、大好きになっちゃった」

母がそう呟くから、今度は、父が顔を赤らめる番だった。


「それは、俺も、同じだ。看護師になりたいんだって、夢を話してくれる君を見て、心を入れ替えなかったら、ろくな大人になってなかったって、今でも思ってるよ」

母は、それを聞いて、素直に嬉しそうな笑顔を見せた。

「でも、あのときは、二度と会えないだろうなって思っててね。もうすぐ留学するって聞いたし、こんな大きな船を持っているような、立派なおうちの人だから。

名前も知らない方がいいと思った。あきらめやすいように」

母が、珍しく落ち着いた目で、わたしを見つめる。


「だから、海空がお腹にいるってわかったときは、奇跡だと思ったよ。

でも、その赤ちゃんが生まれて、名前をつける時に、お父さんの名前を聞いておけばよかったって、それだけはちょっぴり後悔した」

父親の名前に関係のある名前でもつけてみたかったんだろう。

後悔がその一つしかないって言うのが、母らしいと思う。
「じゃあ、どうして、海空って名前にしたの?」

何度か母に訊いたけど、良くわからない答えしか返って来なかった気がして、久しぶりに尋ねてみた。


「お父さんに会った日、目の前には海と空しかなかったから。いつも、海と空を一緒に見る時には、お父さんのことを思い出したから」

海と空がどうの、ってよく言ってたけど、こうして父の話と総合して、ようやく母の言いたかったことがわかった。


「お母さんが、お父さんのこと大好きだってことも、よくわかったよ」


結局、そういうことなんだろうと思う。この人たち、いい年して、まだ、なのか、また、なのか知らないけど、熱愛中なんだろう。


父親の顔を見るどころか、自分の両親から、ふたりが出会ったときのことを聞く機会が、わたしに訪れるなんて、考えてもなかったけど。

こうして現実に、聞いてみると、まさに偶然に偶然が積み重なった、神秘的な出来事には違いないって思う。
なんだかぐらぐらしていた自分の根っこが、しっかりしてきたような感覚もある。

わたしって、何?ってところの答えは、とりあえずは父と母にあるような気がしてきた。ぼんやりしていた足元が、少し見えてきたみたい。

出前で持ってきてもらったらしいうな重を、箸でつついてみる。


親友たちと話したことを思い返しながら、小さく掬った濃い色のご飯を口に入れて、一生懸命噛む。


消化不良はもう終わりにしたい。


わたしは、当分の間は、ひとりで静かに自分を見つめ直した方がいい。
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