結婚したいから!

日常茶飯事のプロポーズ


「手つないでもいい?」
「な、なんで?」
「結婚したいから」
「えっ?」


「キスしよっか?」
「な、なんで?」
「結婚したいから」
「えっ?」


「なんでわたしなの?」
「結婚したいから」
「ええっ!?」


「なんかよくわからないけど、ミクと結婚したいって思う」って、コーイチは、何でもないような顔で言う。

なんで、結婚結婚ってここまで連呼するのか、よくわからない。言われ過ぎて、ふざけてるんじゃないかって思うくらいだ。

「結婚したい」って、何かの理由に使うようなことだろうか。違うと思う、一般的には。理由があって、結婚したいって思うのが普通じゃないんだろうか。
コーイチが、結婚を焦ってるんじゃないかって、わたしは思うけど、本人はもう焦ってないって言う。

だからって、「はい、そうですか」って、手を繋いだりキスしたりなんか、できない。

いや、嫌いじゃない。前に本人にも言ったけど、コーイチのことは好きだ。でも、コーイチに、恋人みたいに接するなんて、どうなんだろうっていう戸惑いが強い。

それだけじゃなくて、恋人なんてもう勘弁、って言う気持ちが、まだわたしの中には色濃く残っている。

忙しいから、家に来て、って久しぶりに紗彩から連絡があって、平日の夜に紗彩の家に行った。


「紗彩、どうしたら、ミクは俺と結婚してくれると思う?」


フロアに座るなり、コーイチがそんなことを言うから、わたしは飲みかけていたお酒を噴き出しそうになった。


「無理矢理キスでもしてみれば?」


ななな、何てことを言いだすんだ、紗彩まで!!涼しい顔で、から揚げかじってるよ、この子!!

「…嫌われるだろ」

「結城、本気でかっこ悪い。そんなこと気にするなら、あたしに訊くな」

「…俺、今、本気でへこんだ」

「え?あ、ああ、ごめん。本気で?なに、急に打たれ弱くなったね?」

珍しく、紗彩が驚いて、コーイチを気遣っている。


いやいや、それもびっくりだけど、何より、コーイチが、わたしと結婚したいって言ってることに、驚いてほしい!「いや、ミクがかなり手ごわいから」

「振られ続けて臆病になってるからね」

「それだけじゃない気がする。俺、どう頑張っても友達のポジションに据え置きされてる気がする」

「要するに、あんたの魅力が足りないんだね」

「……」

「あ、またへこんでる?本気で?」

えっと……。これって、どういう状況だろう。


混乱して、口をつぐんだままのわたしに、ようやく目を向けて、紗彩がぷっと吹きだした。


「なに?結城の気持ち、全然気がつかなかったの?」


ええええっ!?唖然としてしまって、まじまじと紗彩の顔を見つめるけれど、紗彩は不思議そうに少し首をかしげて「鈍感だね」って言うだけだ。


「あ、そうだ。あたし、結婚式挙げることにした」


何その軽い調子での報告!!重大発表じゃないのー!!

きっと、これを報告するために、家に呼んでくれたんだ。

「お、おめでとう!いつ?いつ挙げるの?」

やっと、声が出せた。

「夏以降かな。賢悟が、新入社員の研修の時期は、忙しいからさ」

「けけけけ、賢悟さんって言うんだ!!」

「なに興奮してんのよ、海空は」

「だって、彼の名前、初めて聞いたもん。紗彩って、いつも『あんな奴』とか、『あいつ』とかしか言わなかったでしょ」

「そんなの照れ隠しだし」って、今度はコーイチに苛め返されて、紗彩がボックスティッシュをコーイチに投げてる。

そっかあ。あれ、照れ隠しなんだ。大人っぽい紗彩も、可愛いところがあるんだなぁ。そんな微笑ましい気持ちで、ようやく肩の力が抜けたのに。


「俺も早くミクと同じ戸籍になりたい」


そう言って、コーイチがじいっとこちらを見つめてくるから、緊張して固まってしまった。
「もう、結城のアホ。攻め過ぎなんだって。春までに、もうちょっと猶予があるでしょ」

「もう、あんまりない」

「それまでに海空を落とせなかったら、諦めて令嬢と結婚することだね」

「冷たい…」

「仕事と結婚したと思え」

「ほんと、冷たいな!お前!」


なんか、わたし、この場にいないみたいなんだけど。

あ、もしかしたら、わたしがいないときのふたりって、こんな感じで話しながら飲んでたのかもしれない。

え、でも、いないときにわたしの話題とか、やめてほしい!恥ずかし過ぎる!!

好き勝手にわたしのことを話すふたりの様子に、わたしは呆然とするしかなかった。


ああ、暖かい。

マフラーも手袋もいらないな、今日は。

まだ、冷えて雪がちらつくこともあって、まだまだ冬が続くのかと思っていると、こうして、不意に春めいた日が出てくるようになった。いつの間にか、3月も終わりが見えている。

「ねえ、何を怖がってるわけ?」

紗彩が、イライラした様子で、わたしの手を引いた。
ああ、頭の中が春になっていた。


「海空らしくないよ。どうして、誰かを好きになるのに、躊躇してるの?」


カツカツとヒールを鳴らしながら、いかにも「できる女」って感じの紗彩にぐいぐい引っ張られている。たぶん、道行く人から見たって、わたしはただのお荷物だろう。

えっと…。紗彩に言われたことを頭の中で、リピートしてみる。

けど、どうして、突然そんなことを言うんだろう。

それにしても、仕事がある日の昼休みに、こうして紗彩と会うのって、ずいぶん久しぶりだ。きっといつも、こんなふうにカッコよく仕事してるんだろうな。「あたしさ、旦那を自由に好きでいられなかったとき、あんたのことがすごく羨ましかった。

自分が素敵だと思える人が現れたら、全力で好きになっちゃうところ。あれ、あんたの長所だよ。どこにやっちゃったの?」

あ、あれ、長所、かな…。自分では、どう考えても、短所の様な気もするんだけど…

「何びびってんのよ」

立ち止まって、紗彩が振り向いた。その顔は、怒り半分、心配半分、といった表情で、わたしのことを考えてくれてるんだってことは、よくわかる。

「また、辛い思いをするかもしれないって思ってるの?」

そう言われてみれば、確かに、ずっきんずっきんって、胸の傷が疼くみたい。不器用なのかなぁ、恋愛するときのわたし。

なんか、毎回どんどん傷が深くなってるみたい。古い傷が癒えたら、すぐにまた、新しい傷を負ってる。まあ、紗彩のおかげもあって、その痛みには慣れたけど。

「それは…まあ、辛い思いはしないに越したことない、けど……わっ」

なぜか、街路樹の植え込みに押し込まれる。「いいからしゃがめ」って、綺麗な顔に似合わない口調で言われて。
「辛い思いをするだけなら、いいんだ」

そう答える。たぶんそう。辛い思いをしたって、それは仕方がない。自分がその人を好きになったんだから。


「そうじゃなくて、一度は大切な存在になったその人を、失うのが、とにかく、嫌だな」


その人のことが大事であればある程、その存在を失くした時のダメージが大きくて。誰かの抜けた穴って、結局のところ、わたしの場合は、他の人では埋まらないらしい。

このところ、次々に大事な人とお別れしたから、わたしの中身は穴だらけの様な気がする。


「今の関係のままが心地いいし、かえって失うものもないって言いたいんでしょう」


紗彩の言葉が、鋭く、わたしの心の中に沈む想いを掴んで救い上げていく。

ああ、紗彩にはこの底までよく見えているのかもしれない。
「……うん」

認めたくないけど、その通りだ。わたしらしくないけど、そうなんだと思う。


「このままでいたら、失うよ」


紗彩が、目を細めたその先に、見慣れた人の姿があった。

コノママデイタラ、ウシナウ?紗彩の言葉を反芻してみる。

「状況が、変わったから。自分の目で、よく見て。結城は、そのことをよくわかってるから、あんなこと言うようになったんだよ」


コーイチだ。


黒縁めがねをかけて「武装」してる、コーイチが、一人の女の人と、会社から出てきたのだった。玄関に寄せられた黒塗りの車まで、その人を送りに来た様子。

そうかぁ。コーイチが働いてる会社は、ここなんだ。やっぱり、祥くんのマンションから、結構近くだったんだ、って思う。

それに、きっと、あの女の人が、コーイチのお見合い相手だ…。
眉目秀麗、って、コーイチが言った、その通りの人だから。

くるくると巻いた黒髪が、美しいカーブを描く頬をなぞりながら、つややかに腰までこぼれている。でも、甘ったるいだけの雰囲気の人ではない。グレーのパンツスーツを着こなして、自信に満ちた目をしている。

「よく、見て」って、紗彩が囁いたような、気がする。

彼女が、コーイチの腕に、そっと自分の腕を絡めた。気がつかないような顔をしていたコーイチが、車の後部座席のドアを開けたときに、自然にその手を解くけれど、彼女はいたずらな目をして離さないでいる。

かわいいところも、持ち合わせた人なんだ…。


その様子を見ていると、「失う」って言葉が、ガンガンと頭の中で鳴り響きだした。


「もし、結城があの女と結婚したら、あたしたちはもう結城とは遊べない。あのプライドが高そうな感じ、見て。絶対、旦那が女友達に会うことなんか、許してくれないよ」

そうかもしれないけど、あくまでそれは紗彩だけのイメージでしょ、って言い返そうとして、やめた。

自分が好きで結婚した相手が、頻繁に女友達と飲み歩くとしたら、やっぱりいい気がしないだろうなと思い直して。

紗彩は、コーイチから目を離さずに、続けて言う。

「でも、結城が海空と結婚したら、まだ3人で遊べるでしょ。あんたは、喜んであたしを新居にも入れてくれるはずだもん。

あ、ちなみに、結城があたしと結婚するって言うパターンは、ありえないからね。たとえ旦那と別れても。

結城、どうやらあたしとはキスもできないらしいんだよね」

「はあ?何の話?」

「ふたりで飲んだ時、ふざけてそんな話もしたことがある。キスしてみよっかって。でも、できなかった。笑えて」

「何してんのよ…」

そこで、ちらりとわたしを見る紗彩。


「でも、あんたとしたのは、すっごく気持ちよかったって、結城が言っ」


「なななな何の話してるの!!わたしがいないところでー!!」

わたしは、大慌てで紗彩の話を遮った。
わかった。わかった。

紗彩の言いたいことも、見せたいことも、よくわかった。それに、わたしの心の中も、よくわかった。

このドキドキは、なんだろう。モヤモヤは、なんだろう。


「紗彩、このままだったら、コーイチは、本当にわたしたちの手の届かない人になっちゃうんだね」


そう呟くと、紗彩が、大げさなくらい、強く頷いて見せる。なんだか、紗彩に上手く乗せられたような気もするけど。

いや、実際、乗せられたんだ。わたし、紗彩に焚きつけられたんだ。

じゃなかったら、お互いに仕事のある日に、こうして会うことなんて、滅多にない。紗彩は、コーイチがお見合い相手の女の人といるところを、わたしに見せたかったから、わざわざわたしを呼びだしたんだ。


確かに、わたしにとっても、紗彩にとっても、コーイチは、なくてはならない人になってしまった。

それを、自覚せざるを得ない。
元々、わたしたちとは住む世界の違う人だったコーイチ。でも、元通りの別々の世界に別れて生きていくなんて、もったいない。


今度、あなたを失ったら、わたしはどうしたらいいんだろう。



春の気配とともに、再び、大切な人が遠くに行ってしまうのかもしれないと言う危機感が、ようやくわたしに芽生えた。

進んでも、立ち止まっても、失うと言うのなら。

いっそのこと。

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