結婚したいから!
その後のふたり

婚前旅行と新婚旅行

「部屋に入るまで、我慢しろよな…」

コーイチが、小さな声でそう呟くから、一時停止していた頭が、よたよたと働き始めた。

わたし、コーイチと繋いでる手に、変な汗かいてないだろうか。いや、絶対に、間違いなく、かいてる。


だって、部屋の前の廊下で、紗彩と賢悟さんがキスしてるんだもん!


コーイチと気持ちが通じ合って、すっかり浮かれて帰ってきたホテルで、エレベーターを降り、この場面に鉢合わせてしまった。

賢悟さんがこちらに背中を向けてくれていたのが、せめてもの救いだけど。この角度なら、紗彩の姿がほとんど見えないから。

…でもでもでも。

彼の腕を、紗彩の、ネイルを施した綺麗な指がぎゅっと掴んでいるのが見える。
紗彩とはもう長い付き合いになるけれど、彼氏と歩いているところならともかく、こんなふうに彼女のラブシーンを見たことなんて、もちろんなかった。あまり、人前でべたべたすることもなかった記憶がある。

だからこそ、ドキドキする。


「あれ?ミクが赤くなってる」


わああ!

コーイチが、わたしを見てくすくす笑うから、賢悟さんが振り返った。そして、赤い顔をした紗彩が彼の腕から飛びのいた。

「ごごごごごごめんなさい」

どうしていいかわからず、謝っているわたし。なので、当然、自分のことなんて、すっかり頭から消し飛んでしまっていた。


「わお、くっついてるよ!このふたり!」


全く動じた様子もなく、賢悟さんが騒ぎ出して、今度は慌ててわたしがコーイチの手を振りほどく羽目になった。
「おい、ミク、ひどいな」

「ええ!?いやいやいや、だって。だってね」

コーイチが、ちょっとムッとした顔で、わたしの手を拾って、また丁寧に指を絡めてくる。

ど、どうしよう。こ、恋人繋ぎは、コーイチのことは、…大好きだし。


ぶぶっ。

そんなわたしたちの様子を見て、紗彩が噴き出した。

「あんたたちって、付き合っても変わらないんだね。結城は素直すぎてかっこ悪いし、海空はやけに素直になれないし」

…確かに。

コーイチと顔を見合わせると、お互いの顔にそう書いてあったらしく、自然と笑顔になった。
わたしのことも、コーイチのことも、よくわかっていて、ずっと見守ってくれていた紗彩。さっきまで赤くなってたけど、すっかりいつもの調子を取り戻した様子で、でもずいぶん嬉しそうにわたしたちをからかってくる。


だから。


「賢悟さん。紗彩を、お返しします」

「え?」

仕返しとお礼を兼ねて、そう言ってみた。

「紗彩。荷物を持って、賢悟さんの部屋に行ってね」

「は?」

なんだかんだ言って、紗彩だけじゃなく賢悟さんも、わたしののろのろペースの恋を見守っていてくれてたんだ、って今の反応でわかったんだけど。

紗彩と賢悟さんが、ぽかんと口を開けて、わたしを見てるのもわかってるんだけど。


「わ、わたし、コーイチと一緒にいたいから」


それは、本音だった。何言ってるのか途中からよくわからなくなってきて、わたしが賢悟さんと部屋を替わってもらうんじゃなくて、紗彩を追い出してコーイチを引きこむみたいな提案になってしまっていた。


もう、嫌。でも、言っちゃったもん。もう、いいや。


「あ、結城、鼻血出てる」

紗彩がぽつりとそんなことを言うから、賢悟さんだけじゃなくて、なかばやけくそな気分になっていたわたしまでコーイチの顔を見上げてしまった。

「ええ!?」

コーイチが、びっくりして鼻をごしごしと手の甲で擦ってる。あ、むしろ、そのせいで今から鼻血が出そうな勢いだ。

「嘘だし。結城のアホ。すでにミクの爆走に巻き込まれてるし、ほんと笑えるわ」


紗彩にからかわれて、格好悪いはずの、かすかに頬に赤みが差したコーイチを見ても、胸がキュンとするって、わたし、結構、重症みたいだ。
「いいじゃん。僕も紗彩を独占できてうれしいし」

賢悟さんが、今は遠慮なく、紗彩をひしと抱きしめて、…その腕を振りほどいた紗彩に殴られてる。

「調子に乗るな!」とか言われてるのに、にこにこと嬉しそうな顔のままで、勝手に部屋に入ったかと思うと、紗彩の荷物を持って出て来た。

「え、もう?」

思わずわたしが呟くと、コーイチが繋いだ指にギュッと力を入れた。


「もう、っていうか、やっと、だからね。僕たちにとっては」

賢悟さんは、そう言うと、今度は自分の部屋に戻って、コーイチの荷物を持って出てくる。

「はい。晃一くん、海空ちゃんと喧嘩しても、戻って来ないでね。僕たちは『新婚旅行』中だから」

そう言って、コーイチに荷物を押し付けると、「まだ海空に話がある」ってわめく紗彩を、意外なほど強い力で引きずって、隣の部屋に消えてしまった。
「ほ、ほんとに、行っちゃった。ど、どうしよう」


自分が思いついたことで、自分から言い出したことなのに、いざ現実となると、呆然としてしまい、そう呟いていた。

「キス」

「え?」

「キスしよう」

手を繋いだままだったコーイチが、楽しそうにわたしを覗き込んでいた。そりゃあ、わたしだって「どうしよう」って言ったけど。

「どうしよう」の答えが、「キスしよう」って、正解になりうるのかな?

さっきはコーイチだって、紗彩と賢悟さんを見て「部屋に入るまで我慢しろ」って言ってたよね、って言いかけたのに。


コーイチの顔が近付くと、あっさり目を閉じて、キスを受け入れているわたし。だって、コーイチのキスのお誘いを、わたしが断れるはずがない。

離れ際、少し伏し目になってわたしを見つめるコーイチが、色っぽくてドキドキした。


「ミク、俺の恋人になってくれる?」


付き合って、じゃなくて、恋人になってくれる、かぁ。わたしが、「ゆっくり、恋人らしくなりたい」って言ったから、そう言う表現を使ってくれるんだろうか。

なんか…、すでに、すごく大事にされてるような気になるのは、わたしの思い込みだろうか。


「ハイ、オネガイシマス」


緊張するやら嬉しいやらで、変な話し方になってしまうと、コーイチがくすくす笑って「なんで片言?」って言ってる。

…もしかして、コーイチ、まだまだ余裕がある?

わたしばかり、赤くなったり慌てたりしてるみたいで、ちょっと悔しい気分になったその時。
「悪いけど俺、猛スピードで恋人らしくなりたい」


そう言って、ちょっと恥ずかしそうに、かすかに頬を染めるコーイチをみとめると、彼を好きだって気持ちが胸から湧きだしてきたみたいで。

ゆっくりでも猛スピードでも、あなたと恋人同士ならなんでもいいって思ってしまった。

「ここ、ずっと触ってみたかったんだ」

気が付いた時には、部屋の中で、コーイチが首筋に口づける感触に、ため息を漏らしていた。

「そ、んなこと、全然言わなかったくせに」

髪を短く切った日、ピンクさんや紗彩さんに言われたことを思い出す。なぜか首を褒められたっけ。

でも、確か、コーイチは、たいした反応を見せなかったはずだ。

「紗彩の前で言えるはずないだろ」

そう言われると、それもそうだと思って、笑えてくる。言ったら最後、散々からかわれるだろうし。


「でもね、わたしがコーイチへの気持ちに、素直になれたのは、紗彩のおかげだよ」

そう言うと、コーイチは、少し不思議そうに答えた。


「あいつ、協力とかしないから、ってしつこく俺に言ってたけど」
「え?」

「あくまでミクの味方だし、ミクの気持ち次第だって。俺には結構冷たかったぞ」

「ええ?」

ふたりして、ちょっとびっくり顔で見つめ合ってしまった。

でも、考えてみると、わかってきた。紗彩がときどきわたしをせっつくような言動を見せたのは、わたしの気持ちに確信を持ってからなんだろうってこと。


「じゃあ、わたしの気持ちに早いうちに気づいてたんだと思う」

「え?」

「一度、紗彩に連れられて、コーイチの会社に行ったことがあるの」

「え!?」

「コーイチが、綺麗な女の人と、玄関から出て来たところ、見ちゃった」

「……」

「そのとき、このままでいたら、コーイチを失うよって、紗彩に言われた」思い返していると、あのとき抱いた危機感まで蘇ってきて、いつの間にかコーイチにしがみついていた。コーイチのTシャツの胸の部分をぎゅっと掴んでいるのに気がついて、コーイチがその手を上からそっと握ってくれた。

「ご、ごめんね。こっそり見に行ったりして」

そう言えば、コーイチは何も知らなかったんだろうなって、今更気がついて、おそるおそる彼の顔を見上げると、少し笑ってくれてほっとする。

「いや。紗彩に感謝しなきゃいけないな」


そして、コーイチの顔から少しずつ笑みが消えていくと、吸いつくみたいに唇が重なった。

ゆっくりと深くなっていく口づけに、うっとりしていたら、ぷちんとブラのホックが外れて、びっくりした。
冷や水を浴びせられたみたいな気持ちで、言葉も発することができずに、コーイチを見つめている。

「ごめん。嫌だった?」

コーイチが、わたしの様子が変わったことに気がついて、困ったような顔で、そう言うけれど。いや、嫌…じゃなかった、はずだ。

でも、なんか、嫌になった。

「うん」

そう言って俯くと、少し視界がぼやけて、目を開いてないと、膜を張った水気がぽとりと滴になって落ちてしまいそうだ。


「わかった。もうしないから」


そう言いながら、わたしを抱きしめていた腕を緩めて、離れたコーイチは、寂しそうな顔をしてるように見えて、胸がずきずきした。

嫌なのは、わたし自身だ。好きな人に、こんな顔をさせて。「ごめん、俺、外せるけど、つけられないんだった」

「もう!そんなことまで、いちいち教えてくれなくていいから!」

むっとしてそう答える自分に気がつくと、ますますわたしはわたしのことが嫌になった。どうして気分が一気に冷めたのか、わかったから。

「あれ?もしかして、妬いてくれたの?」

くすりと笑いながら、コーイチが、わたしの顔を覗き込んでくるから。

「うるさい」

とっさには、否定の言葉を用意することができなかった。


「…え?本気で?俺、今のは冗談で言ったんだけど…」

コーイチが、戸惑っているのがわかる。

「……」


確かに、わたしは、妬いた、んだと、思う。だって、まだキャミソールの上にTシャツも着てるのに、ブラのダブルホックって簡単に一発で外せるかな?わたしには、コーイチの手が背中に触れたのもわからないくらいだった。


「慣れてる、んだもん」


あの一瞬で、確信してしまったのだ、わたしは。

「近づいてくる女の子を次々に食っちゃった」時期があったって、コーイチが話したのが、事実だってこと。

「ずいぶん昔のことだけど」

ちょっとびっくりした様子のままで、コーイチがそう言う。

わかってる。今、同時進行でそういう関係にある女の人がいるわけじゃないし、コーイチが女の人の扱いに慣れてたとしても、これまでの経験からだってことくらいは。


「でも、嫌なの」


「え?」ってコーイチが言ったのは聞こえたけど、止まらなかった。
「コーイチに抱かれたいっぱいの女の子のことを思うと、イライラする」

「ミク」

「昔のことでも、ムカつく」

「ミク」

「どうしても嫌だ」

感情に任せて言葉を吐いていると、とうとう涙がぽろりとこぼれた。

コーイチの過去に嫉妬したって仕方がないって、自分でもよくわかってるのに、この制御できない気持ちはなんだろう。


ぐるんと景色が回ったら、ベッドに押し倒されていた。


「コ」

呼びかけるつもりの名前も消えた。

さっきは優しくゆっくりと深くなったキスが、今度はあっという間に熱を帯びて。


「そんなかわいいこと言われると、我慢できなくなるんだけど」
そう言いながら、体を起こして、わたしの顔を見たコーイチは、はっとしてわたしの手首を掴んでいた手を離した。


「ごめん。嫌がることはしないって言ったのにな」


嫌。…だけど。

それは、コーイチのことが嫌なんじゃない。コーイチが過去に別の女の人を抱いたって言う気配が嫌で。

だけど、そんなことに嫉妬してコーイチを傷つけるわたし自身が、一番嫌だ。

怒りたいような泣きたいような、ぐちゃぐちゃした気持ちで。

まあ、たぶん、まさにその感情通りの、嫌な顔をしていたんだろうと思う、わたしは。間違いなく、好きな人とキスした直後にできないような顔を。

だから、コーイチは離れてくれたんだと思う。


そのぐちゃぐちゃの嫌な気持ちを、コーイチに言葉で上手く説明することもできなくて。

ミネラルウォーターをペットボトルから直接飲んでいるコーイチの横顔を盗み見していたその時。
「俺、ちょっと頭冷やしてくる」


そう言って、コーイチが立ちあがって眼鏡をかけたら、なぜかわたし自身の頭の方が一気に冷えて、慌ててベッドから飛び起きた。

「ど、どこで?」

「うーん、どこっていうか、ちょっと近くを散歩してくる」

「ひとりで?」

「うん」

「だ、だ、だめ!!わたしも行く!!」

「えぇ?」

もう、子どもか、わたしは。

「それじゃあ俺の頭が冷えないだろ」ってコーイチが困った顔をしてるけど、こんなところで別行動になるなんてもったいなさすぎる、と思う。

普段、コーイチとこんなに長い時間を過ごすことはできないのだから。
「お腹が空いたんだってば」

「だってば、って言われても、今初めて聞いた」

「どっちでもいいから、一緒に行く」

「じゃあ、俺と一緒に、ちょっと散歩してから、ごはん食べに行こう」

にこっと笑ってくれるコーイチに、わたしが勝手に心の中に作ったわだかまりが、とろりと溶けるのを感じる。妬いて意地を張ってるわたしの言う、勝手なことを全部受け入れてくれるんだな、って思って。


「はぐれるといけないから、手は繋いでもいい?」

「……うん」

いや、むしろ、繋いで欲しい。心の中でそう言いながら、コーイチが差し出した手に、自分の手を重ねる。

くすり、とコーイチが笑う気配がして、ちらっとその顔を見上げたら。
「かわいいな、ミクは」

って、微笑まれたから、ドギマギしてしまった。


「…怒ってないの?」


たぶん、コーイチは、わたし以上にむっとしてもいいんじゃないかって、気がする。

いい雰囲気だった、はずだ。なのに、わたしが勝手に変なヤキモチ焼いて、拒んで、そのくせコーイチがひとりで外に出るって聞いたら慌ててついて行くって言いだしたりしたら、嫌な気分になる気がする。

かわいいなんて、思えるはずがないと思う。


「怒ってない。残念だけど、俺、相当ミクのことが好きらしい」


そう言って、優しい顔で頭を撫でられると、うっかり「わたしだってコーイチのこと大好きだもん」って言いそうになった。

…いや、言えばいいんだと思う。

「え、っと…」
どうしてかな。コーイチの前だと、上手く自分の感情が表現できない。ひどく騒ぐ心臓をなだめつつ、口をパクパクさせているだけで精いっぱい。

「顔、赤いけど?」

…だよね!!どうせ、わたしが黙ってたって、この顔が本当のことを言っちゃってるよね!


コーイチに笑われながらも、手を繋いだまま、部屋を出て、外へ向かう。歩くって言ったけど、まだ外は暑くて、しばらくの間はビーチが遠くに見える木陰に腰掛けることにした。

「煙草、吸ってもいい?」

コーイチが、そう訊くから、少し驚いた。出会ったころ、吸っていたのを見たような記憶はあるけど、親しくなってからは、洋服から微かに煙のにおいがすることはあっても、目の前で吸ったことはないから。

「いいけど。どうしたの?珍しいね」

唇に煙草を挟んで、視線を下ろしたままで火をつける、その仕草を見ると、どきりとする。ふいに、大人の男の人だったんだってことを、思い出す。

「さっきから続いている中途半端な興奮状態を鎮めるためにはどうしてもニコチンの力が」

「わああああ、わかりました!!」

慌ててコーイチの言葉を遮った。

くすっと笑って、コーイチが、煙を吐きだす。
「まあ、仕事中は結構吸ってるんだけどな。気分が変わるし、他の喫煙者と話もできるし」

「そうなんだ」

目を閉じて、そんなコーイチを想像してみる。伊達眼鏡で武装した冷静な顔で、あの会社のどこかで働いているところ。喫煙スペースで、お菓子作りが得意な秘書と、仕事について話しているところ。

まだまだ、わたしの知らないコーイチが、いるんだろうな。


「ミクは?仕事、楽しい?」

「うん。楽しいよ」

そう答えると、理央さんや、「部長さん」、そして、わたしが担当しているお客さんたちの顔や声が思い出されるくらい。いろんな偶然が重なって、今の仕事に就けて、感謝している。

「今でも言い寄られたり、する?」

ふと目を開けて、隣を見ると、コーイチは、わたしがはめたままの指輪を見ていた。膝の上に載せた左手の薬指に、それはすっかりなじんでしまい、いつでもつけっぱなしになっている。
「しないしない。あれっきり」

指輪を買うきっかけになった、お客さんのことを言ってるんだと思う。

「客だけじゃなくてさ、あの、あー、ほら、同僚の、あいつ、とか」

香山くんのことを、言いたいんだろう。わたしがそれに思い至って、びっくりしたら、コーイチは慌てて視線を逸らした。

「いや、何でもない。今の発言は忘れて」

めずらしくうつむいて、そっぽを向いたコーイチが、かわいくて。

「香山くんは、わたしに言い寄ったことなんてないよ。もう触ってもこない。この休暇を申請したときに、『どうせ結城さんと婚前旅行でしょ』ってからかってきたけどね」

そう言うと、わたしはくすくす笑ってしまった。

「そっか。…俺、しつこいな。ごめん。なんか、あいつが気になってしょうがない」

それ、しつこいって言うんじゃなくて、妬いてるって言うんだよ、って言いそうになるけど。はあ、ってため息吐いて、ちょっと落ち込んだ様子のコーイチが微笑ましいから黙っておいた。


「それにしても、初めてミクがその指輪してきたとき、びっくりしたな」

コーイチが、今度は指輪をちらりと見た後、まっすぐわたしを見つめてくる。

「彼氏ができたのかと思ったから」

そう言えば、この指輪を買った日に、そんなことを訊いてきたような気もする。


「俺…、いつから、ミクのこと好きだったんだろ」


独り言のように言いながら、コーイチはまだわたしを見つめているから、またドキドキしてきて困る。
気温は高くても、心地よく吹いている風が、コーイチの長めの前髪を揺らすから、眼鏡の奥の目の表情が、よく見える。

「あ…、え…?」

えっと、今、どういう時間だっけ?わたし、何か返事をするところじゃないよね?何が原因で、コーイチがこんなにじいっとわたしを見つめてくることになったんだろうか。わけがわからなくなって、コーイチを見つめ返すことしかできない。


「なに?俺に好きって言われると、そんなに照れる?」


「え、わたし照れてるの!?」

もちろん、そんな自覚なんてない。

「だって、さっきも、好きだって言ったら混乱して真っ赤になってただろ」

「なって、…ない」

「そっか」

なってただろ、って強く言い返さずに、そっかって言って笑ってくれる。わたしが強情な時も、素直になれた時も、どちらでもそのままのわたしを受け入れてくれるんだな、コーイチは。
そんなふうに、仕事や家族の話をしているうちに、日が沈んでいく。時間が経つのがあっという間で、長い時間を一緒にいてもちっとも飽きないし、しんどくない、っていうことにも、わたしは気が付いてしまった。

会えば会うほど好きになって、話せば話すほど惹かれる。

もうとっくにコーイチ中毒だったんだ、わたし。わたしの方こそ、一体いつから彼のことを好きだったんだろうって思う。


「ミク、ごはん食べに行こうか?もうお腹ぺこぺこ?」

「うん」

そうでもなかったけど、お腹が空いたって言い張った手前、頷いておいた。ごはんなんか、食べても食べなくてもいい。

嬉しそうに、大切そうに、わたしの手をそっと取って歩きだす、コーイチが一緒にいてくれるなら。

< 55 / 73 >

この作品をシェア

pagetop