結婚したいから!

婚約と結婚

「ミク、早過ぎる」

「う、うん」

わかっている。自分でも、そのくらい。でも、止められない。


教会の中で、なぜか自分がやたらと緊張していた状態で、ぱっと開いたドアの向こうに着飾った紗彩の姿を見た瞬間、涙がこぼれてしまった。

5年も片思いを続けた賢悟さんとの恋を実らせた紗彩。

耐え忍んだ恋、のはずなのに、賢悟さんの前ではとことん紗彩らしく、横暴で、偉そうで、なのにときどき可愛くて。もちろん、紗彩の存在が気になることがきっかけで離婚を決意した賢悟さんだって、わたしに嫉妬するくらい紗彩にべた惚れで。


そんなふたりが、結婚式を挙げるのだから。感動するなって言う方が無理な話だ!


うっ。早くもしゃくりあげてしまいそうなのを、なんとか我慢して、バージンロードを歩く紗彩を見ていた。それに気がついたのか、紗彩が呆れたような笑みを浮かべて、わたしの隣を通り過ぎて行く。

「ミク」

困ったらしく、コーイチが、膝の上で堅く握りしめていたわたしの手を、自分の手でそっと包んでくれる。

お。うわ。
とたんに心臓がドキドキしてくるから、わたしの体って、つくづく現金だと思う。

「落ち着いた?」

涙の洪水が納まりつつあるわたしの顔を、コーイチが静かに覗き込んでくるから、うっかりしてその綺麗な目を、見つめ返してしまった。

「う、うん」

正確に言うと、落ち着いたのではなくドキドキしたのだけれど。どちらにしろ涙が止まったのは間違いない。

結局、世間はゴールデンウィークだというのに、あれからコーイチは、毎日会社に行く羽目になって、わたしはさらに重度のコーイチ不足の状態だ。

そのまま、こうして連休も最終日、紗彩の結婚式を迎えてしまったのだ。

だから、わたしは、コーイチとの触れ合いに、すっかり抵抗がなくなってしまっている。

顔が、赤くなってないだろうか。いや、今ずいぶん泣いたから、そのせいだと誤魔化せるはずだ。


そんな、中学生のような、ドキドキ感を、胸の中でどう納めようかと考えていたら、いつのまにか式は進行していたらしい。

祭壇の前で、賢悟さんが、紗彩のベールを持ち上げて、キスをしたからびっくりした。

いやいやいや、いくらわたしだって、結婚式でキスをするカップルを見たことがないわけじゃない。友人の結婚式にも、すでに何回か、参加済みなのだから。

だけど、確か、紗彩は、人前で唇にキスなんかさせるかって言ってたはずだから。

一瞬、きらりと瞳をきらめかせて、賢悟さんを睨むような目つきをした紗彩を、わたしは見逃さなかった。


わお!賢悟さん、紗彩の言いつけを破ったんだ!!絶対に、そうだ!!


営業の仕事をしている間に、ずいぶんと男の人に言い寄られる紗彩を心配して、賢悟さんが仕事を辞めてくれってごねていたことを思い出した。

今日の式や披露宴の列席者は、かなり多い。きっと、ふたりの仕事での関係者もたくさん出席しているはずだ。

皆の前で、紗彩は自分のものだって、言いたかったんだろうなあ、賢悟さん。満足そうににっこりと紗彩に微笑みを返しているのを見ると、本当に子どもみたいで、微笑ましい。

自然とにこにこしてしまっていたらしく、ふと気がつくと、コーイチまでにこにこしてわたしを見ていたから、今度こそ誤魔化しようもなく真っ赤になってしまった。

「泣いたり、笑ったり、赤くなったり、忙しい奴だな」

くすくす笑われて、恥ずかしいから睨んでみるけれど、まあ、確かに正直過ぎる顔に全て表れているんだろうから、何も言い返せなかった。

披露宴でも、紗彩はため息が出るくらい美しかった。


白いドレスも、お色直しで着替えた紺のドレスも。アシンメトリーにハーフアップされた髪形も、華やかなメイクも。どれも素敵だけれど、今日の紗彩は、そんな装いが、彼女を美しく見せているわけじゃないと思う。

どこか冷たい印象すら与える整った顔の紗彩が、時折花が咲くように笑うと、見る人がはっと息を呑むのがわかる。

そう、隠しようもないくらい、彼女が幸せだと、わかるくらいに、紗彩の表情が綺麗なのだ。

そんな彼女に見惚れていたのに。

披露宴も後半に差し掛かって、わたしとコーイチがいる席に、ウエディングケーキをサーブしに来てくれた紗彩は、露骨にコーイチの足を踏みつけた。

「いって!」

コーイチがびっくりするのも無理はない。今日だけは、花嫁らしく、しとやかな、たおやかな紗彩でいるに違いないと、わたしも思っていたのだから。


「何やってんのよ、結城。さっさと結婚しな。勘違いや自己嫌悪で、ふらふらっと海空がいなくなっても知らないからね」

こともあろうに、そんな忠告まで投げつけて。どうやら、どんなに装いがまばゆいほど美しくとも、紗彩の性格はいつも通りだったらしい。

わたしは、ぽかんと開いた口が、しばらく閉じられなかった。

勘違い?自己嫌悪?なんだか、わたしに似合いすぎて嫌になる言葉が重なってる…。


「海空。あんたもおかしい。彼氏が仕事に熱中してて、しかも近いうちに社長夫人になれるんだから、不満ばっかり持ってないで、ちょっとは喜べ。結城の仕事を理解して、我慢することも覚えなさい」

「えぇ!?」

式を控えた紗彩は忙しそうだったから、ときどき電話するときにだって、それほど細かく愚痴った覚えはない。どうして、そんなふうにわたしたちの状況を理解しているんだろうとびっくりする。

だけど。ちょっと待て。

「なによ」

無意識のうちに、わたしは紗彩のドレスを引っ張っていたらしい。不満そうに紗彩が見下ろしてくるから、一瞬ひるんだけれど。


「わたし、コーイチが社長になるから、好きになったわけじゃない」
わたしだって、今の紗彩の表現に、多少の不満がある。

「はぁ?」

紗彩が呆れたようにそう言うから、なんとかわかってもらいたくなって、さらに言葉を連ねる。

「だから!仕事で、コーイチが忙し過ぎるのも困る。もっと一緒にいたい」

にやり。紗彩が妖しく笑ったから、わたしははっと我に返った。


「そう言いなさい、ちゃんと、直接、こいつに」


そう言われて、隣の席のコーイチを振り返ると、久しぶりに真っ赤な顔をしていた。

「ものわかりのいい顔するだけが、彼女らしい行動とも限らないでしょ。海空らしく、思ったことを言えばいい」

だめだ、わたしまで顔が熱くなってる。


「で、さっさと結婚式にあたしを招待しなさい」


やっぱり、最後には、紗彩が鮮やかに笑みを広げて、わたしの心を攫ってしまった。

そう言えば、ちゃんと、伝えようとしたことはなかったかもしれない。

初めから、諦めがあったから、素直に一緒にいる時間が欲しいなんて、言ってもいない。

紗彩に言われて、そんなことにも初めて気がついた。


コーイチと素直に向き合う前に、香山くんやコーイチの秘書に言われたことを、気にして。蓄積した不満を吐きだした時には、それはもうすでに素直な感情ではなく、屈折した攻撃的な言葉に変わってしまっていた。

わたし、何やってるんだろう。

いくら忙しいとはいえ、コーイチと顔を合わせる時間が全くないわけじゃない。一緒にいたいな、って自分の伝えるだけなら、いくらでもチャンスはあったし、コーイチの仕事や気持ちの負担にもならなかったかもしれないのに。

それができなかったのは、確かに、わたしのいろんな勘違いや自己嫌悪の積み重ねかもしれない。


紗彩の結婚式の2次会まで、無事に終えて、わたしたちはアパートに帰る途中だった。

いくらか遠慮がちに、指を絡めない形で繋がれた手が、逆に気恥かしい。

親友の幸せそうな笑顔を見た後の、そしてずいぶん泣いた後の、高揚感もいまだに消えない。
そんな浮ついた気持ちの中で、紗彩と話した時の、コーイチの赤い顔が、目の前をちらちらして困る。うつむきがちに歩いてるから、手を繋いだ先の本物の顔は目に入らないはずなのに。

紗彩にけしかけられて、本心を吐露してしまったけれど。それをばっちり、コーイチ本人にだって聞かれたはずなんだけど。

紗彩の言う通り、コーイチは、わたしに直接それを、言って欲しいのかな、ほんとに。言った方が、いいのかな。

それを迷いながら、わたしは、最寄り駅までの道を歩いていた。


「晃一さん」


静かに、でもきちんとした声が響いて、わたしたちは足を止めた。

前から歩いてくる人は、いつか見かけた、「雪女さん」だった。夜にもその白く透明な肌が、光ってるみたい。


「こんばんは」

「ああ、深雪(みゆき)か。こんばんは」

「デート?」

彼女が、ちらりと繋がれたわたしたちの手を見やったのが、わかった。それでも、言葉が出てこなかった。

「ん。今から仕事?頑張ってな」

「ええ。引き継ぎが落ち着いたら、また店に来てね。寂しいけど、待ってる」

人形のように真っ白な頬を緩め、同性でもくらっとするような色香を漂わせる微笑みを見せて、彼女は再び歩き出した。


色気。わたしにひとかけらもないその要素を、惜しげもなくこぼれさせながら、消えた彼女のおかげで。

忘れたと思っていた記憶が、鮮明に蘇ってきた。


偶然見かけた、コーイチを、紗彩と尾行したときのことを。

彼の膝に跨って、キスしていた綺麗な人。雪女みたいに、妖しい魅力を備えた人。


彼女は、何のためらいもなく、わたしがこの数週間、言えずにいたことをまとめてさらりと言ってしまったのだ。ものの数分で。

『引き継ぎが落ち着いたら、また店に来てね。寂しいけど、待ってる』…って。仕事が忙しいことを理解する姿勢もあるけれど、会いたいって気持ちは、ストレートに伝わってくる。
惨敗。


その、敗北感に打ちひしがれて、大人しく家まで帰って、不貞寝すればいいものを。

「あの人のいるクラブに、今でも飲みに行くことがあるの?」

なぜだか、こういう場合には、言葉がするりとこぼれてくる。

「最近はないけど、あの店を気に入ってる取引先の担当者がいるんだ」

確かに、あのときも、スーツ姿の男の人が何人かいたような記憶がある。でも、彼らがコーイチと一緒にいたのは、途中までだ。

「でも、あの人が気に入ってるのは、コーイチでしょ?」

「ん?」


「…ただの営業だとは、思えない」


わたしが、震える声でそう言うと、さすがにコーイチもキスしてたことを言っているのだと気がついたのだろう。少しの間、考えるように黙った。

その間だって、わたしはこの話題を出したことを、後悔し始めていた。今更、そんなことを気にしてどうするっていうんだろう、って、自分でも思っていた。


「あのときは、どっちでもよかった」

「え?」

「ただの営業でも、俺に気があっても。別に、深雪と結婚したって構わないって思ってたから」


やっぱり、聞くんじゃなかった。完全に後悔したけれど、もう遅い。

「ミク!俺、『あのときは』って前置きしただろ?」

焦ってコーイチがそう言うけれど、わたしは首を横に振った。

「えぇ!?」

そんなはずないって、ますます困り果てて行くコーイチを見ても、わたしは唇を噛みしめていた。


コーイチは、確かに前置きはしたけど。

そうじゃ、ない。わたしが、こうして泣いている訳は。

「コーイチが、今でもそう思ってるんじゃないかって、思っているからじゃない」

だけど、どう言えばいいんだろう。ああ、そうだ。

「わたしみたいなのじゃなくて、あの人だったら、コーイチの仕事の邪魔をしないで上手くやって行けるのかもしれないと思うから」

ひくひくする呼吸を止めるようにして、一息にそう言った。

「バカなこと考えるなよ」

心底困った、って顔で、コーイチがそう言う。

バカ…、本当にわたし、バカかもしれない。

紗彩に言われた、勘違いと自己嫌悪。それが今、マックスでミックスになってわたしを飲み込んでる気がする。

コーイチと繋いでいた手も、いつの間にか解いて、わたしはひとりでアパートへの道を帰る。ため息をついて、コーイチがついてきてくれることはわかっているのに、もう一度、彼と手を繋ぐ気持ちには、どうしてもなれなかった。

紗彩の忠告に、素直になって、さっさと気持ちを伝えておけばよかった。雪女さんに再会する前に。

そう思っても、後の祭りだ。

いつもいつも、最後のほんの一歩が、なぜだか踏み出せない。そして、単純はなずだった事は、少しずつ絡まってややこしくなっていく。




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